社会とその抑圧

こういう社会を仮に考える。


結婚という行為、あるいは家庭を持ち、子供を生み育てるという行為と、
恋愛感情とがまったく切り離されている社会。


配偶者は他人から与えられる。
配偶者が決定される仕組みとしては例えば、
・まったくのランダム
・遺伝子の配列により、最適な因子を持つ子孫を設けることが可能となる組み合わせ


何も考えず、そういうものだとして、誰もがそれを無条件に盲目的に引き受ける。
書類を受け取って、手続きを行なって、ある日突然2人の人間が1つの場所で生活を始める。
そして政府が策定する標準的なプランにだいたいのところ基づいて、受精を行なう。
機械のように生殖活動を行なう。
生まれてきた子供を育てる。
生まれてきた子供については愛が芽生えるかもしれない。
しかし、両親の間には愛が存在しない。愛着としての愛ではなく、恋愛としての、愛。
後付けで形成されるかもしれないが、その可能性は一般的に言って低い。


その一方で人類からは恋愛感情は失われない。
「家庭」とは別な場所で色恋沙汰が盛んに繰り広げられる。
愛に満ち溢れた生殖活動を行なう。
ただし、あくまで戯れとして。
手違いで生まれてきた子供は、政府によって認められることはなく、廃棄される。
それを避けたい場合は、こっそり配偶者の子供として偽って育てることになる。
そしてそのことが政府の目に偶然にも見つかってしまった場合、・・・


全体主義社会」についての小説がかつていくつか書かれ、
こういう社会もネタとして考えられたと思う。
その社会ではたぶん恋愛感情というものすら否定される。
家庭は単なる人間の集まって構成されるグループの一種でしかない。
薄暗い、機械の動く音しか聞こえない工場で働く夫が発狂して自殺した。
政府は代わりの人員を妻にあてがった。
そういうやつ。

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抑圧する。
心の中のどこかの部分を削ぎ落とし、奪い去ることで
その集団を支配しようとする。
そういう政府があるのかどうか、かつてあったのかどうか実際のところよくわからない。
誇張されたフィクションなのかもしれない。
あるいは関わった誰もが忘れようとしたのかもしれない。
しかし、ナチス・ドイツという実例はあった。
スターリン時代の旧ソ連第2次大戦中の日本も、どこかしらその傾向があったのだと思う。

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人間が人間じゃなくなるってどういうことなのだろう?
と最近よく考える。
人が人を殺めるにあたって見出される理由は
どんどんおかしな方向へと突き進んでいる。
そういう「事件」として現れる次元の話と、
もっと根源的な、人間性の変容の話と。


そしてその変容をもたらす要因としての、社会とその抑圧。


うまく考えがまとまらない。
今日はこれ以上書けない。