時間を売る

古来より人は身一つしかなくても、持てるものを売り払ってきた。
豊かな黒髪であったり、血液であったり。
臓器だったり、幼い子供だったり・・・
世界最古の職業は娼婦だとも言われる。


何百年先の話になるか分からないが、
テクノロジーが発達した社会では
人は時間というものを売ったり買ったりするようになると思う。
比喩的な意味ではなくて、文字通りに。
物理的な時間の塊なのか、意識の中での時間の流れなのか、
それはそのときになってみないとわからない。


(前者ならば、例えば25歳の人間が1年という時間を売ったとき、
 その1年が経過しても心身ともに25歳のままだが、
 後者ならば肉体は26歳になっていて精神は25歳という
 タイムラグが生じるだろう)


富める者は優雅なひと時を過ごすために「時間」をどんどん買い漁り、
貧しき者は何の記憶・思い出もないたくさんの空白を抱えて年老いていく。


時間の差し出し方というのが例えば
ベッドに横たわりCTスキャンの器具のようなものに取り囲まれるとするならば
あるいは映画に出てくる冷凍睡眠のように透明なケースの中での凍りついた眠りとなるならば
生を受けてから死ぬまで、あるいは一定の年齢に達してからやはり死ぬまで、
その機器に接続されたままの「人間」も存在することになるだろう。
貧しき国の貧しき社会の片隅で
大勢の人間が年齢や性別に関係なく、積み重なったケースの中で眠っている。
生まれたときから何世代も前の負債を一身に背負っていて、
こういうやりかたでしか返済の仕様がない。
若くして子供を作ったらというか機械的な生殖活動を終えたら
(その子供もまた返済用だ・・・)
あとはケースに入って何十年も先の死を迎えるだけ。


そんな光景を思い描く。
この話はまだ実現性に乏しいが、もっと別なことは実現しそうに思う。
例えば100年もかからないうちに、
臓器売買用に培養される意識のない「人間」
(人としての固体、あるいはその断片)
が非合法にプラントの中で、・・・ということはありえるのではないか。


金があるなら欲しいものは手に入れたくなるだろうし、
ニーズがあればそれをどんな手段を使ってでも提供する人が出てくる。
20世紀はそういう時代だったし、21世紀はさらにそれが押し進められるはずだ。
手に入れる側と差し出す側の2極分化はなおいっそう激しくなると僕は考える。