僕が僕であることを形作っているもの(幼年期)

ふと、僕が僕であることを形作っているものってなんだろう?と思う。
これまでに出会ってきた様々な出来事や、人々、読んだ本や聞いた音楽。
試しにリストとして挙げてみたくなった。
僕という人間のモザイクが出来上がるはず。


が、・・・大変なことになった。キリがない。
とりあえず、書けるだけ書く。


僕がこれまでに書いた文章やこれから書く文章は
全てこれらの記憶にその起源を持つはずである。

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・1歳までを過ごした東京都東久留米市のことはさすがに覚えていない。
 だけど僕はその後青森で育っていても
「僕は東京生まれだから」という意識が常にどこかにあったように思う。
 東京の大学に入ったのも当然の帰結のようだった。
「ああ、戻ってきた」と感じた。


青森市。物心が着いた頃。父の働く新聞社に何度か行ったことがある。
 鍋焼きうどんを食べた。「刷り込み」効果によるものか、
 鍋焼きうどんがその後好物の1つとなる。


・新聞社の階段を歩く僕を、僕は上から眺めている、
 そんな不思議な光景が脳裏に焼き付いて離れない。


・母は僕に幼時向けのABCの学習用の絵本を買ってきた。
 だけど僕は興味を示さず、開こうとしなかった。
 父も母も英語ができなかったのだから、仕方ないか。
 黄色い表紙の本だった。


青森市本町のアパート。港の近く。3階か4階。
 1コ下の階に同じような家族構成の一家が住んでいて、
 同い年の女の子と遊んだ記憶がある。
 その子は引っ越したかなんかして、一緒の幼稚園に行くことはなかった。


・ある夏の夜、窓を開けてテレビを見ていたら、父か母が外を指差した。
 真っ暗な空に赤い光が浮かんでいた。UFO?
 夢か現か今となっては真偽は不明。


・なんか今思い出したテレビ番組。
 「噂の刑事トミーと松」
 「Gメン'75」
 「プリンプリン物語


・もちろん、ウルトラマン仮面ライダーにはまる。
 「ザ・ウルトラマン」「ウルトラマン '80」
 「スカイライダー」「仮面ライダー スーパー1」といった辺りがもろ。
 とにかく大好き。
 でも、ごっこで遊ぶよりは部屋の中で番組を見てる方が好きな子供だった。
 ウルトラマンの怪獣大百科を毎日毎日飽きもせず眺めてた。
 50円ぐらいで5枚ぐらい入っているカードを買って集めて、交換してた。


戦隊ものも好きだったな。もちろん。
 「バトルフィーバーJ」「デンジマン」「サンバルカン
 タイムボカンシリーズで言えば「オタスケマン」や「ヤットデタマン
 他にアニメはなんだろうな、たくさん見てたな。「イデオン」はこの頃?
 欲しいものはとにかく超合金の変形するロボットだったな。


・父がとにかく歌好きだったので、アニメの主題歌のテープを買ってもらうことが多かった。
 いつも聞いてたように思う。


・初めて買ってもらったマンガはドラえもんの15巻で、
 僕が熱を出して寝ていたとき、枕元に置かれていた。擦り切れるまで読んだ。
 それ以来ドラえもんが僕という人間の物の考え方の基本の一部をなすようになる。
 他のマンガだったら全然違う人間になっていたかもしれない。


・いつ頃から「妹」の存在に気付いたのかわからない。
 気が付いたらそこに妹がいた、生活をともにしていた、という感じ。


・幼稚園はキリスト教系の。
 高校のときにふらっと行ってみたら教会は残ってたけど
 幼稚園はなくなっていて、たまらなく寂しい思いをした。


・ある日雨が降っていて、幼稚園の外で泣いていたことを今思い出した。


・僕はままごとばかりしている子供だった。
 一個下の女の子と毎日毎日飽きもせずおままごと。


・まあそれでも男の子の友達がいないわけではなくて、
 母と一緒にそれら男の子の家に行くことも多かった。


・母のいない日に、父が作り置きのシチューを温めた。
 それを食べることになっていたので、
 その日友達の誕生会があっても、僕は何も食べなかった。


・そうだ、そこは今思うとどこかのスナックの中だった。
 僕の育った青森市本町というのはネオンの瞬く飲み屋街で
 幼稚園の子の中には親がそういうスナックをやっている子もいたわけだ。
 飲み屋街のど真ん中のアパートに住んでいた。


・小さい頃、そういう飲み屋街やきらびやかで大きなイメージを持っていたんだけど、
 高校生になってその辺りを歩いてみたら、
 2・3ブロックしかない狭い通りでしかなくて驚いた。
 しかも寂れかかっていた。安っぽいきらびやかさだった。


・住んでいたアパートはとても小さくて、台所兼食堂の部屋ともう一部屋あるだけ。
 そこに夜ともなると一家4人が川の字のように布団を敷いて眠っていた。
(子供が入ってはいけない、父の部屋があったように思う)


・誰でもあるだろうけど、両親が××××をしていて、目を覚ましたことがある。
 そうだ、今思うとあれはハダカだった。
 テレビをつけられて僕はそれを見た。


・新聞社勤務ということもあって、父の帰りは不規則だった。
 父はよく、玄関で「おばけだぞー」と言っていた。
 僕と妹は父を迎えに行く。


・夜遅く帰ってきて、酔っ払ってることの方が多かったのだと思う。
 父と母はそのことで喧嘩をよくしていたはずだ。
 そういうときの母は不機嫌だった。
「給料の大半を飲んで使ってしまう」とその後僕が大きくなってから聞かされた。


・アパートの横は駐車場で、緑色の金網に囲まれていた。
 隣にすし屋があって、1コ下の男の子と僕はよくその駐車場で遊んでいた。


・何か祝い事があるとそのすし屋に入った。
 魚が苦手な僕は特別にトロと卵だけの鉄火丼みたいなのを作ってもらっていた。
 引っ越しても中学生になる頃までは年に一回ぐらい、
 一家ですし屋におじゃますることがあって、
 この鉄火丼を作ってもらっていた。思い出の味。

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いや、ほんと止まらない。


31歳の今に至るまでを最初書くつもりだったんだけど、
このままだと果てしない。


もしかしたらまた、続きを書くかもしれない。