小さなスナック

小さい頃、青森市本町の飲み屋街で育った。
物心ついてから小学校一年生の一学期まで。
スナックの並ぶネオン街だった。


町の歴史のことは知らないが、「本町」という名前なのだから、
かつてはこの界隈がやがて青森市になる一帯の中心部だったのではないか。
大工とか鍛冶屋とか並んでいたんじゃないかと思う。
今から1000年以上昔、後の青森港がつくられた。
その青森発祥の地に建てられた善知鳥神社を挟んで反対側が「新町」となる。
今もアーケードの続く商店街でその先には青森駅がある。
恐らく駅ができたときに新しい町が作られ、本の町が廃れていったのだろう。
港のすぐ裏という近さからそこが飲み屋街として延命するのは必然だった。


古びた雑居ビルの中に小さなスナックがひしめいている。
その色とりどりの看板が入り口の壁にずらりと並んでいる。
そんなビルがポツポツとあって、一軒家の居酒屋も間に入っている。
中には寿司や懐石料理の店もある。
看板の内容から察するにキャバクラの類もある。
店の入れ替わりは激しいのだろうけど、
僕が小さい頃からこの界隈の雰囲気は変わらない。


こういう場所で育ったから、ネオン街というものに対して嫌悪感はない。
むしろなんかほっとする。
しかし青森に帰って歩くのは朝のひと気のないときだけ。
夜はもう長いこと訪れたことがない。
今なら「よそ者」として客引きを受けるのだろうか。


酒飲みだった父は毎晩のようにこの店のどこかで飲んでいたのだろう。
生活費はほとんどくれず、酒代に消えていたと僕が大きくなってから母は語った。
その母は僕と妹が小さかった頃子育てに忙しく
この町に引っ越してきても昼間しか歩いたことがなかった。
あるとき何かの用事で外に出たとき、そこがネオン街だということを突然知って驚いた。


幼稚園は町外れの教会の中にあった。
同い年の子の何人かは、少なくとも一人はスナックの子だった。
あるとき誕生日のお祝いに呼ばれた。
母はそのとき何かの理由で家にいなくてクリームシチューを作っておいていた。
昼だったか、夜だったか、それを食べることになっていた。
だから父は何も食べずに帰ってきなさいと僕に言った。
父は今思うとそんな器用なほうではないと思う。


生まれて初めてスナックの中に入る。薄暗くて狭くて、怖かった。
だけどそれはスナックだからじゃなくて、親戚以外に初めて他人の家に入ることの怖さだった。
知らない家族の生活のにおい。
お菓子や料理の皿が並んでいた。
トヨヒコ君も食べなさいと何度も薦められたが、食べようとしなかった。
大人になってそのときのことを時々思い返す。
スナックを営んで暮らしているという状況をこの子は蔑んでると思われはしなかっただろうか。
その後店がどうなったか、家族がどうしたかは知らない。
母も覚えていないだろう。


リリー・フランキーナンシー関による『小さなスナック』を年末に読んで
またこのときのことを思い出した。
ナンシー関もまた青森市で育っている。
本町の飲み屋街を歩くことはあっただろうか。
あったんじゃないか。そのイメージするスナックは、本町のものではないかと思う。