今日は客先で子供たちの職場見学会であるらしい。
大きめの会議室にスタッフが遊び場を用意しているのを何年か前に見かけたことがある。
以前はオフィスそのものの見学もあったような気がするが、
このご時世、最近そういう話は聞かない。
職場訪問というわけではないが、
幼稚園の頃何度か父の働いている新聞社の支局を訪れたことがある。
住んでいたアパートから歩いて5分ぐらいの距離。
今ならすぐだけど、トコトコとかなり長く感じた。
青森港の近く。
さすがに雑然としていて、暗室や仮眠室があった。独特な臭いがした。
机は5・6人分ぐらいあっただろうか。どれも書類やファイルが山積みになっている。
カメラもあちこちに置かれていた。
奥に和室の部屋があってあれは会議室のようなものだったか。
なぜ新聞社に和室が必要なのだろう。借りたビルがたまたまそうだったのか。
ちなみに最上階は支局長が住むことになっていた。
行くと必ず誰かが遊んでくれたが、今思うとそれどころではなかっただろう。
なぜ支局に一人で行ったのかよくわからない。母が迎えに行かせたのか。
記者ではなく事務かアシスタントの女性の方がいてその人がよく相手してくれた。
いつまでその支局にいただろう。
僕ら家族がむつ市に引っ越してからも何年かはいたはずだ。
その後また青森市に戻ってきて、僕が小学生の時に何度か登山に連れて行ってくれた。
八甲田山や奥入瀬渓流。
僕はブーブー言いながらついて行って、そんな僕のペースに合わせてくれた。
その方も結婚で支局を後にして、おそらく今でも母は年賀状のやり取りをしている。
今もまだあの支局はあるのだろうか。
出前を取った時に僕の分も頼んでくれて、フーフー言いながら鍋焼きうどんを食べた。
いや、父の分を分けてもらったのか。
その記憶が奥底にあるからか、今でも僕は鍋焼きうどんが好きだ。
僕の父が亡くなった時、取材中の出来事だったので社葬となった。
当時の支局長の方が僕ら家族だけではなく、葬儀のために来ていた従妹たちも一緒に、
近くの高級なレストランでごちそうしてくれた。
鳥の止まった木を模した特別なメニューだった。
それが支局の近くのはずなんだけど、
葬儀は住んでいたむつ市の通信部で行っていたので記憶が合わない。
何かの手続きで皆、青森市の支局を訪れていたのか。
なんとはなしにあれこれ思い出した。
僕らの住んでいるアパートは既に取り壊されて別の建物になっている。
古びたビルだったので、支局もまたなくなっているのだろう。