眠らない人々

人という生き物が睡眠という習慣を持たない、
つまり一切眠らないものであったならば。
24時間起きているのが普通であったならば。


まず思うのは、「眠る」目を閉じてレム睡眠に入るという行為は不要であっても
疲れた体を休める必要があるのは変わらないと思われる。
なのでベッドやソファーベッドのようなものがなくなるかというとそういうことはない。
人は横たわり、目を開けて本を読んだりテレビを見たりしながら、休息の時間を過ごす。
あるいはその方がリラックスできるからという理由で目を閉じるかもしれない。
しかし、目を閉じたところでどこまでも暗闇が広がっているだけであって
それ以上のことは何もない。その暗闇の中で何時間も過ごすことになる。


いや、そんな中途半端な習慣は不要で、
疲れたら椅子に座ったり寝っ転がったりというのを小刻みに繰り返すものだとしたら。
人類は24時間動き続ける。全人類、何十億もの人たちが。目を覚ましている。
経済効果はいかばかりのものなのだろうか?
例えば生産の追いつかない工場では3交代制が当たり前になる。
工場に限らず、夜勤という考え方は存在しない。
それは労働力の確保というだけではなく、
夜勤に当たっての手当ても不要ということを意味する。


企業によっては24時間いつ出社して帰ってもいいということになるだろうか?
たぶんそれは効率が悪いから、昼間の時間は働くという原則は変わらないと思う。
そして、日が暮れて暗くなってからは夜が明けるまで際限なく個人的な時間となる。
一晩中飲み歩いたり遊び歩くかもしれないし、
スポーツや勉学、あるいは家族共に過ごすための時間となるかもしれない。


そうなったとき、人間の階級は2つに分かれざるを得ない。
昼間働いて夜を自由に過ごす人たちと、そのために奉仕する人たちと。
いや、昼の間各種サービスを提供する人がまた大勢いるというだけのことか。


逆を考える。
人間という生き物はどうしても
12時間から18時間ぐらい眠らないことには動けないものだとしたら。
でもそれはそもそも文明が発達しないか。
原始人の時代。寝てばっかりだったらオオカミに食われておしまい。


そうじゃなくても。
例えば、今よりもさらに文明の発達した時代には
より多くの睡眠時間を持てる者こそが社会的上位者となっているかもしれない。
生活に余裕があるってことで。
あるいは、理由は不明であるが人類の平均睡眠時間が年々僅かずつ増加していって
500年後には平均的な人間は1日に2・3時間しか起きていないとか。
そういう設定のSFが書けないものか考える。
科学技術が発達してなんでもかんでも機械に任せられるようになったら
そういう生活となっても十分やっていけるかもしれない。


そもそも人類の平均睡眠時間は
20世紀以後、増えているのか、減っているのか。
どちらの傾向にあるのだろう?