ツアーでペルー その32(4月26日)

物々交換のデモンストレーション


ホテルを出て、湖のほとりまで歩いていって船着場へ。
待っていたモーターボートに乗り込んでウロス島へと出発。
この日もまた天気がとてもいい。快晴。
昨日天気が悪くて、前の晩「明日降るのかなあ」って話してたんだけど。
俺ってほんと晴れ男だねえ。
昨日は移動日で、かつシルスタニ遺跡っていうマイナーな目的地だったから
ついつい気を緩めてしまったわけだ。


ボートは1階のキャビンと2階というか屋根の上に設けられた席に分かれる。
もちろん僕は2階席に。風を切って進むのが気持ちいい。
自然発生的に生まれたトトラ(葦)の小さな浮島の間を
ボートはまっすぐまっすぐに進んでいく。その立てる波で葦が揺れる。
静かな水面に浮島や遠くの山が映っている。
藻なのだろうか、鮮やかな黄緑色の膜が葦の周りを覆っている。
(船着場付近はこの黄緑色がかなりの範囲で広がっていた)


20分ほどして、大きな浮島が寄り集まっている区域に。
最初の島に「KAMISARAKI」と看板が掲げられている。
アイマラ語(ペルー・ボリビアチチカカ湖周辺で使用される)で
「こんにちは」の意味。返す言葉としては「WAREKI」となる。
バルサというトトラを編んでつくった舟が大小様々浮かんでいる。
舟の前面は必ずニョキッと突き出た顔の形になっていて、
あれは確かピューマだっただろうか。


そこからまた先に進んで、サンタ・マリア島へ。
浮島のうち人の住む大きなものは名前がついているようだ。
ウロス島というのはその総称となる)
上陸して、人々の生活についてレクチャーを受ける。


島は定期的に古いトトラの上に新しいトトラを積み重ねていくことで作られる。
「アンカ」と呼ばれる杭(英語から来ているのだろう)を打つことで
湖の底に固定して流されないようにする。
トトラでできた家の屋根は1年しかもたなくて、そのたびに作り直す。
土台は2年。家を持ち上げてトトラを積み上げる。
家そのものの枠組みは木で作られている。
家の中にはテレビもラジオもあって、その電気は太陽発電にて生み出している。
なので各家の脇には家庭用の小さな太陽電池を棒の上に括りつけたものが設置されている。
これらの仕組みはフジモリ大統領時代にエジプトから導入。


サンタ・マリア島は7家族が暮らしていて、子供たちは他の島の学校に通っている。
島々の中には学校や教会がある。しかし病院はない。
(虫歯になっても困るので、子供たちには飴をあげないことと注意される)
観光が主な収入源となるが、もう1つの柱は漁業。
チチカカ湖ではマス、ナマズ、鰯など様々な魚が獲れる。
貨幣経済ではなくて、基本的には物々交換。
僕らのためにそのデモンストレーションが行われた。
のこっち側、プーノから来た人たちと反対側から来た人たちとって感じで。
さばいたアヒルや干した魚、ジャガイモや穀物など
それぞれが持ち寄ったものをたくさん広げて盛んにやりとりする。
「もっとまけてよ」的なことも言う。そういうときは量をふやすわけだ。

アイマラの女性たちは丸い顔にぷくっとしたほっぺ、低い鼻が特徴。
物々交換のときに登場した女性は
編んだ長い髪の先にアルパカの付け毛をくっつけていた。


島も家も舟もみなトトラで作られるが、なんと食べ物にもなる。
新鮮な刈り取ったばかりのトトラが回される。みんなで食べてみる。
味のないサトウキビってとこかな。
デモ用に煮炊き用の炊事道具も置かれていて、
ガイドのDさんが小麦粉みたいなものを練って手頃なサイズにすると、
熱した油でいっぱいの中華鍋に入れて揚げパンのようなものを作った。
残念ながら食べ損ねた。


島を歩くとブヨブヨとした踏み心地。
湖の水が染み出るってことはないが、触ると水分を含んでいるように感じられる。


島の人たちはそれぞれ家の前で敷物を広げてその上で土産物を売る。
魚の描かれた深皿やバルサのミニチュア(もちろんトトラで作る)、
敷物、小銭入れみたいなもの、陶器の人形、バルサモビールなどなど。
皿は迷ったけど、結局買わない。


島の奥の方でクイの飼育が行われていた。
七面鳥のような鳥も放し飼いされていた。


家の中を覗いても何も言われない。
壁に衣類が掛けられ、ボンベにガスコンロ。確かにテレビが置かれていた。


見晴台があって、上って写真を撮る。


次の島へ。2ドルでバルサに乗れるというので、みなそちらにする。
ボートに残ったのは2組の夫婦。
熟年夫婦はキャビンの中だったが、
若い方の夫婦が2人きりで屋上に出てくつろいでいる様子を見ると、
そしてそれがかなりのスピードを出して僕らの乗ったバルサを追い越していくのを見ると、
まるでボートをチャーターしているみたいでうらやましかった。
追い越すとき2人は僕らに向かって満面の笑みを浮かべて、得意げに両手を振った。


2階部分が輿のようになって大勢乗れる舟だった。僕は2階へ上がる。
バルサが湖の上をゆっくりゆっくりと進んでいく。
前で2人男女が漕いで、後ろで1人女性が漕いだ。
途中まで来ると一人乗りのボート(こちらは普通の手漕ぎボート)に乗った女性が
「援軍」に駆けつけて、バルサの後ろについて漕いだ。
旅行者を乗せて、湖の上を様々な大きさ・形のバルサが行き交う。
僕らのような大型の舟や、旅行者2人だけで漕ぎ手が先頭に1人だけの小さな舟。
島もまた大きいのがあったり、小さいのがあったり。
とある島には幼稚園だったのか、小屋から大勢の子供たちが出てきて外で遊んでいた。


小学校のある島へ。
部屋が1つだけの小さな学校。
子供たちが出てきてサッカーをする。ボールが転がって湖の中へ。
岸辺に停まっていたボートに乗り込んでボールを拾う。またサッカーを再開する。
教室の中に入ると日本語で書かれた習字が壁に飾られていた。
日本人の名前で「夢と希望」「共に学ぶ」
ここに住んでいるとは思えない。日本から送られてきたのだろうか?
それとも日本人学校の生徒が書いたのか。


ここにもまた見晴台があって上る。
ハシゴを降りるときに足を滑らせて下の段に思い切りぶつける。
夜、イカのホテルに到着してカーゴパンツを脱いだとき、
派手に傷ができていて血が出ていたことを知る。


この島では無料でアンデスの民族衣装を貸してくれるサービスあり。
女性たちが我も我もとこぞって着替えて写真を撮る。
最後に女性たちの集合写真。
男性用の衣装は一着だけでジャケットと帽子だけ。新婚夫婦の旦那が着る。
僕が写真を撮っていると添乗員のKさんから
オカムラさん、着てみませんか!?」と声を掛けられる。
「いやーいいっすよ」と最初断ったんだけど、「お願いしますよ」と再度頼まれる。
(僕が1人で行動していることが多かったから、交流の場を、と思われたのか・・・)
ジャケットを着て帽子をかぶって、女性たちの真ん中で写真を撮る。
僕もデジカメを渡して撮ってもらう。
「似合ってますよ」といろんな人から言われる。
いい思い出になった・・・
ジャケットは丈夫なもので、着てると暑かった。


ウロス島には余り知られてないがホテルもあると聞く。
10ドルで泊まれる。風呂はないが、食事はあり。


島を出る。
島の女性たちが集まって列になって声を合わせて「サヨナラァ」と大きく手を振る。
そして「アメアメフレフレカアサンガァ」と日本の歌を歌う。


ボートに乗る。帰りは心なしかスピードが速い。
オレンジ色の救命胴衣を1人1つ配られる。
そんな危険には思えなかったけど。
着たら着たでみんな写真を撮り合う。ある種のサービス??


後で地図を見たら僕らはチチカカ湖のほんの端の方をボートでうろちょろしただけだった。
琵琶湖の十二倍の広さは、体感できず。ツアーだと仕方ないか。