「A」「A2」

映画部の後輩が「A」「A2」のDVDを持っていると聞いて、貸してもらった。
さっそく見てみた。


オウム真理教を題材としたドキュメンタリーと、その続編。
山形国際ドキュメンタリー映画祭や世界各地の映画祭で上映された。


「A」は地下鉄サリン事件を起こした95年から約1年掛けて撮影され、
荒木広報副部長を主たる被写体として据えていたが、
それから4年後、「アレフ」と改称した99年に撮影された「A2」には
これと言って主人公はいない。日本各地の教団施設を巡っている。


当時ひたすらマスコミのカメラが教団に対して向けられていたが、
それはあくまで外からの視点によるもの。
この作品を監督した森達也の視点は一貫して内側にあるところがポイント。
かと言って教団の教えに共鳴するところがあって教団よりの立場に立つのではなく、
あくまで中立の立場であろうとする。
ただ単純に「ここでは何が起こっているのだろう?」という素朴なジャーナリズム。
というかテレビ制作会社的・自主映画的、淡々とした好奇心。
出来事に翻弄されて追いついていくだけで精一杯だったのかもしれないけど
(でもまあ日々接しているうちに、個々の信者に対しては同情的になってるようには思う。
 オウム真理教という教団に対してではなくね)


で、見たわけですが。
この作品ってなんか物言うのほんと難しいね。
言ってることが難解なのではない。むしろ、非常にわかりやすい。
でもね、受け取ったことをそのままポンと言ってみたり、
ちょっと考えて意見を右に倒しても左に倒してもどこかの誰かの気分を害しそうで。
中性的なこと、というか中途半端な当たり障りのないことしか言えない。
(僕も肝っ玉が小さいな・・・)


例えば、「オウムの信者たちもそれぞれは、まあ、普通の人間なんだなぁ」
とかって安易に片付けるわけには行かないのですよ。
「普通の人間がああいう凶悪な事件を巻き起こすわけ無いだろうが」
「今も後遺症に苦しんでいる人が大勢いるっていうのに」
「自分の町に来てみろ。嫌に決まっているだろうか」
といった反論が容易に思い浮かぶ。


なんか一つ言えるのは、この作品は、
映画として、ドキュメンタリーとして、技術的に高いことは一切求めず、
非常に素人っぽく「とにかく回す」って姿勢に基づいて
オウムの中にいた人と外にいた人を
なんでもかんでも並列に撮って並列につなげることで
「日本人とはどういうものなのか?」ってのが素のままで提示されたように思う。
これを見るとどういう生き物なのか非常によくわかる。


「オウムの信者たちもそれぞれは、まあ、普通の人間なんだなぁ」というのと同じように
「取り巻いていた人たちも、まあ、普通の人間なんだなぁ」ってことが浮き彫りになってきて。
地域の住民ってのがあちこちに出てくる。
最初のうちはオウムが来たって言うととにかく集団になって「出てけ」「出てけ」と糾弾する。
なのに月日が流れ教団施設を交代で見張っていくうちに信者と個人的に仲良くなっていく。
出て行く日には名残惜しそうにする人たちもいる。
「脱会したらまた遊びにおいでよ」みたいな和気あいあいとした雰囲気で。記念撮影もする。
マスコミも右翼も自分たちの欲求を声高に主張してみたり、
その裏ではいろいろな余談があったり。妙に人間くさい。

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森達也としての主張は「A2」の最後の箇所に込められている。
オウム事件から5年、日本はおかしな方向に進んでいると思った森達也
荒木浩に対して、こんなことを言う。
「信者たちがあの事件に対してどう思ったのか。
 うまくまとめられないまま、消えてしまっていくのではないか。
 アレフに改称したり、被害者への賠償責任について語るようになり、
 地域に受け入れられ共生することを求めるようになり、
 最近のオウムは変わってきているが、それは何かがずれているように思う。
 かと言ってじゃあどうあるべきなのかは私にもわからない」
荒木浩も、概ね同意する。
そして、日本中の多くの人たちが我々に対して「消えてくれ」と思ってるだろうと語る。
しかし、消えていくことはできない。どこにも行き場所が無い。
永遠の異物として、残り続けていく。


僕が思うにオウムとその周りの社会の受け止め方というのは
この国独自のものであって、他の国ならば全然違っていたのではないか。
信者を機械的に一切隔離して排除するような社会だってあっただろう。
しかし日本という国ではそうしなかった。そうはできなかった。
いろんなメカニズムが働いて。
それがいいことなのか、悪いことなのかよくわからない。
僕には。正直言って。


オウムの信者にとってそれはなんだったのか、
周りの人々にとってなんだったのか。
じゃあどうすべきだったのか?
この問いかけに対する答えは100年・200年という長い年月の果てに
ようやく評価される類のものなのだと思う。
個々の問題を切り分けていって、今すぐにでも解決すべきことはいくらでもある。
しかし、本質的な部分において割り切れない特異な問いかけが、残されてしまったのだ。

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同じような質感を感じた作品として、平野勝之の諸作を思い出した。
「由美香」「流れ者図鑑」「白 THE WHITE」


対象との距離感。
どうしていいかわからず悩みながらも、撮るしかないんだと裸一貫カメラを回すところ。
だけど崖っぷちにいるわけではない、というところ。