合コン理想主義

日曜の夜、合コンがあった。


土曜の夜、高校の友人たちと飲んでいると合コンの話になる。
友人はそのとき参加した女性たちのメールアドレスを全員聞いて、後日メールを書く。
返事が来るのかどうかに対してどれだけ期待できるか、
自分がその人に対してどういう印象を持っているかに関係なく、メールを出す。
ある意味礼儀として。それに、人と人の出会いやつながりを大事にするという意味もあって。
それを聞いた僕は「え。そんなめんどくさいことしてんの?」と言う。
「その人に興味持たなかったらメールアドレス聞かないし、メールも出さないよ」


そこから先、「だからオカチャンはダメなのだ」と諭される。
僕は反論する。「でもさ、興味のない人から返信が返ってきて、
それが結構積極的な内容だったらどうするわけ?
その気もないのに会ったり、あるいはメールで断ったりするのだとしても
どっちもあんまりいい気がしないじゃん」


「ああ、なるほど。そうだよね」と納得する人もいたけど、
その友人曰く、「そんなの考えすぎだ」と。
いろんな可能性を前もって考えて、不安要素がいくつか上がってきたから
それを理由に何もしないって、どうよ?
そのときになってみないと何事もどうなるかわからないし、
実際のところ何も起きないことのほうが多い。
だけどいつか、実を結ぶこともある。
「現にオレには彼女がいて、オカチャンにはいない」


「おおーっ!!」という声が挙がって、僕の負け。
これ以上説得力のある話、あるわけがない。

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で、日曜に合コンに行ってまあ何事もなく終わる。
例によって僕から何かすることはない。


月曜、幹事経由でその日来た女の子のメールアドレスが回ってくるものの
やはり僕からメールすることはないだろう。


僕はいったい何をしているのか?
何を求めているのか?
出会いを?
だったらどんな出会いを?
なんだかよくわからなくなる。


以前とある同世代の女の人と飲んでたら
「年々基準が上がっていって、見る目がどんどん厳しくなってしまう」って言っていた。
なので周りでは見つからなくなってしまう。
でも、それでいい。妥協してもつまらないことになるだけ。


ああ、と思った。
それってわかる。
「今更ここで手を打つ?」「じゃあこれまでなんだったんだ?」
「・・・そこまでして欲しくはないよ」と僕は思う。


理想が高いって言ってしまえばそれまでか。
そんな理想に吊り合うだけの自分か?って問われたら返答に困ってしまうんだけど。

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ってことで
「いや、それぐらいならいらないんじゃないか」と高校の友人たちの集まりで話すと
それはそれでまた怒られる。
やる気を出せとか、自分を甘やかしてるだけだとか。
そんな声が聞こえてきそうだ。


僕は不器用なのか?それとも無駄に意固地なのか?
どこかで現実を見なくてはいけない。
それはやはり先延ばしにせず、早い方がいいのか。