「ペルセポリス」「裁かるるジャンヌ」

1月4日に渋谷シネマライズで見た「ペルセポリス」について。
http://persepolis-movie.jp/


日本でも発売されたグラフィック・ノベル「ペルセポリス」の映画化。
http://www.amazon.co.jp/dp/490178465X/
僕は読んだことないけど、
作者がそのまま監督となってアニメ化しているので
映画の雰囲気は原作に忠実なのだと思う。


70年代末のイラン革命、80年代のイラン・イラク戦争の時代に
多感な少女時代を過ごした作者の自伝的内容。
それまでの自由な生活から一転して
女性は男性の「庇護」の元で暮らすことを余儀なくされたテヘランにて、
キャッチフレーズにもある
「ロックとユーモアとちょっぴりの反抗心を胸に」
たくましく、愛らしく、生きていく主人公マルジの姿が胸を打つ。
涙腺の弱い僕は劇場で見ててホロホロと涙が出てしまった。
この映画、とてもいいです。あらゆる人にお薦めです。
昨年のカンヌで審査員賞を受賞。
僕が審査員だったとしても、賞をあげたくなる。


アニメと言っても最近ハヤリのテクニカルなCGアニメではなく、
古きよき手書き風のアニメ。これがとてもしんみり来る。
かといって古めかしい要素は無く、
現代的なアートの要素もふんだんに盛り込まれている。


去年たまたま読んだ「テヘランでロリータを読む」のことを思い出す。
http://www.amazon.co.jp/dp/4560027544/
テーマ・背景が重なり合っている。
知的好奇心を抱えた女性たちは停滞する社会、戦争のさなかの社会において
どのようにして日々を過ごさなければならなかったのか?
どのようなことに(密かな)喜びを見出していたのか?

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久々の映画館。あれこれチラシを見る。
アウトサイダー・アートの代表的作家ヘンリー・ダーガー
ドキュメンタリーが春に公開されることを知る。
しかも「ヴィヴィアン・ガールズ」の物語がアニメとなって挿入されるという。
これは必見だ。
非現実の王国で」として知られる約15000ページにも及ぶ絵物語
1911年19歳にして書き始め、1973年に81歳で亡くなるまでに
アパートの1室で1人きり誰にも知られることなく執筆。正式名称は
「非現実の王国における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、
 あるいはグランデリニアン大戦争
 あるいは子供奴隷の反乱に起因するグランデコ対アビアニアン戦争」


その他では
「夜になるまえに」の監督、ジュリアン・シュナーベルの最新作「潜水服は蝶の夢を見る
コーエン兄弟の新作「ノー・カントリー」
ポール・トーマス・アンダーソンの未公開作品「ファーストフード・ネイション
それに、ようやく公開される昨年のカンヌ・パルムドール4ヶ月、3週と2日
この辺かな。今年見たい映画は。

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昨日6日の午後はこの休み最後の映画として「裁かるるジャンヌ」を見た。
20世紀前半のデンマークの監督カール・テホ・ドライヤーの無声映画時代最後の作品。1928年。
その最高傑作として数え上げられている。
(ドライヤーの作品としても、無声映画としても)


DVD が紀伊国屋書店のレーベルから一般発売されていることを知り、
見つけた時に買っておかないとすぐ無くなってしまうだろうと、即オーダー。
同じく代表作の「吸血鬼」は今では2倍近い値段がついている。


ジャンヌ・ダルクが異端審問を受け、火刑に処せられる1日を描いたもの。
50年代より前の映画は普段見ない僕ですが、これ、見といてよかった。
無声映画っていうと気の抜けたものばかりを想像してしまう。
これはそんなんじゃなかった。
セリフなし。わずかばかりの字幕とピアノ演奏(これはDVD発売時に日本でつけたもの)。
後は役者の演技とアングル(カメラワーク)と編集のリズム、史実に忠実であれとされたセット。
映画を成り立たせる要素としては21世紀の今から見れば簡素この上ない。
なのに、あるいは、それゆえに、凛とした映像表現が成り立っていたように思う。
どうしてこうも力強く、緊迫感のある映像になりえるのか?
全編を通してジャンヌ・ダルクの表情が多くを物語る。台詞が無くても、十分に伝わってくる。
それは周りの役者たちの表情・動きについても言える。
全てのシーンが必然的で、その全てにおいて魂が込められている。


純粋無垢の映画。
そこから先、映画は意味も無く堕落していったのか。