結婚式雑感

最近何かにつけて書いていることであるが、
2月に2つ結婚式のビデオ撮影をして、しばらく土日忙しくて作業が滞っていたのを
このゴールデンウィークにかなりなところ進めた。
頭の中のモードが「編集!」となって、楽しくなる。ランナーズ・ハイのよう。
今週は会社から帰って来ると
寝るまでにちょっとした時間しかなくても、映像をつなげたり縮めたり。
昨日はものすごく早く帰ってくることができて、
空がまだ明るいうちから夜中までずっと作業。疲れきって死んだように寝る。
今日もまた朝早く起きて今まで作業。
一気に詰めたので1本目はラフな編集が一通り完成した。
もう1本の方は明日から本格的に。これも5月中にラフが完成しそう。


これまでに手がけた結婚式・披露宴のビデオ編集は3本。
あーでもないこーでもないと同じ場面を何度も何度も繰り返し眺めて、
当の本人たちよりもその日の出来事について詳しくなっている。
新郎・新婦の笑顔が頭に焼き付いて離れない。
部屋に閉じこもってPCに向かって、他の人の幸福な姿を見つめている毎日。
余りにものめりこみすぎて作業していると、
今、手にしている断片にのみ意識が向かっていると、ある瞬間に
「あれ?なんでこの人たちはこんなに笑顔なのだろう?」と不思議な気持ちになる。
ふと我に帰って、「あ、そうか結婚式だからか」と気付く。
一つの言葉を頭の中で繰り返し反復して唱えているうちに
その言葉がグルグルしだして音と意味が乖離する、そういう現象に近い。
こういうビデオの編集をしていると、
「幸福」というものについて微分積分をやってるような感じになる。
一つ一つのコマで映像として描かれているものはその瞬間の「笑顔」でしかない。
しかしそれを連続して眺めたとき、「幸福」というものが立ち現われてくる。
この間にあるものはいったいなんなのか?

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3組の結婚式・披露宴。全然違う。
結婚式:新郎の入場、新婦が父親に付き添われて入場、誓いの言葉、指輪の交換、誓約書にサイン・・・
披露宴:新郎新婦が入場、2人の生い立ちを披露、主賓の挨拶、乾杯、
    ウェディングケーキ入刀、ファーストバイト、友人のスピーチ、お色直し、
    戻って来てキャンドルサービスや写真撮影やワインを告ぐなどで各テーブルを回る、
    2人のこれまでの写真を動画ファイルにしてスクリーンに映写、
    新郎新婦から両親に記念品贈呈、新婦の手紙朗読・・・


どれも基本的には同じことを行っているはずなのに、印象がどれも違う。
会場と参加者と司会者、そして新郎新婦が違えばこうも違うものなのか。
上で挙げたものはあくまで枠組みでしかなくて、
内容としてそこに収まるものは千差万別なのだということ。
高校に3年間通う、同じクラスで同じ授業を受けていたはずなのに
それぞれが見る風景と思い出として残る出来事は人によって大きく異なる。
そういうことに近いのかもしれない。

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これまでの編集作業を通じて、
結婚式・披露宴というものについて無駄に詳しくなった。


・ブーケプルズは紐がこんがらかるからあまりお薦めできない。
・指輪を指に通すときはまず相手の指の上から、真ん中まで来たら今度は下側から通すとよい。
・どれだけ頑張って思い入れのある曲を選んで流したところで、出席者はまず間違いなく聞いていない。
・新郎がお色直しで会場から消えた瞬間、それまでの悪事が各テーブルで語られる。


などなど。

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編集をしていると、どうしても自分の場合と置き換えてしまう。
もしこれから先、僕が結婚式を行うならば・・・
確実に言えることは、大学の友人たちからひたすら飲まされて、
ことあるごとにビールをイッキして、バケツに捨てることは許されず、
最初は理性があって拒もうとしていたのが
途中から酔って自ら全部飲むようになり、もしかしたら記憶をなくす。
あるいはそれ以上の失態を。
そう考えるととても怖い。
でも、絶対飲んでしまうと思う。


それともう1つ。
僕もまた、その時が来たら、
これ以上ないってくらいに幸福な笑みを終始浮かべているのだろうか?
それはそれでなんだか怖い。