「イン ザ・ミソスープ」

未読の本を積み上げた山の中に見つけて、
村上龍の「イン ザ・ミソスープ」を読んだ。
面白かった。とても面白かった。
一言で言えば猟奇的殺人の話なんだけど、
単なる「猟奇」的な「殺人」にとどまらない。
それ以上の何か根源的なもの、根深い社会的病を描いている。


村上龍って基本的にものすごく小説がうまい。
文章がうまいというのとはちょっと違う。
普通の言葉を普通に組み合わせているだけのはずなのに、
小説としての凄味がドクドクと湧き出てくる。
小説家としての基礎体力を計測してみたら絶対国内トップクラスだよね。
過去100年間の日本の作家を範囲としても。
読んでて、構わないなあとため息が出る。
もっとたくさん読まないとな・・・
読んでて「勉強になる」と思わされる作家ってなかなかいない。


本編のストーリーとは別に、登場人物の独白みたいな感じで
ところどころ小さなエピソードが紹介される。
その1つ1つの発想が奇抜すぎて
そこに何よりもこの人の作家としての怖さを感じる。
イン ザ・ミソスープ」だと
山手線の床に座って積み木を積み上げる話とか。
原宿で大きなカーブがあるから崩れやすいなんて出てきて、
はっとして、その後すぐゾッとした気持ちになる。


あと、村上龍独特の、人と人とのつながりとしてのこの社会やこの世界、
あるいは人間そのものに対する考え方。
それはいったいどういうものなのか?どんな姿・形をしているのか?
どれだけいびつで、どれだけ病んでいるのか?
どんなシステムを通じて物事(人・モノ・金・情報)が流通していくのか?
どんなふうにして人の思いは伝わっていくのか?
希望や絶望といった生々しい感情、その裏返しの「無関心」
冷徹な視線で理論化される。
村上龍の作品にて描かれていることは常に、
この壊れてしまった世界の中で人間性を取り戻す作業なのだと思う。
毎回、何読んでも虚をつかれる、とても引っかかる箇所が出てくる。
今回はここ。引用します。
「外国人とつき合う仕事を二年近くやって、一つのことに気づいた。
 イヤなやつはイヤな形でコミュニケートしてくる。
 人間が壊れているというとき、
 それはその人のコミュニケーションが壊れているのだ。
 その人間とのコミュニケーションを信じることができないときに、
 そいつを信じられないやつだと思う」
幻冬舎文庫、213ページ)

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小説家には2種類あるのだと最近僕は考える。
結局誰しもが人間というものが分からなくて
その作品を通じて追い求めることになるのだが、
具体的な事象を通じてその作品それぞれの中で答えをその都度出す人と、
抽象的に全ての作品で思考し続け、結果答えを出しえないという結論に達する人と。
村上龍夏目漱石なんかが前者だし、村上春樹太宰治なんかが後者となる(と思う)。
その瞬間、その断面においては何かしら答えはあるのだと考える人と
瞬間のつながりのなかでトータルで何かを感覚的に語る人と
言い換えてもいいのかもしれない。


多くの人は書き手として後者を選択するのではないか。
悪く言えば、結論を先送りするのだから
その作品の中には良いも悪いもないということになる。
しかしそれはある意味、気が楽だ。
(断わっておくが、だからといってここを基準に文学作品の優劣が決まるわけではない)


前者、作品という枠組みを通して意思表示を行うには多大な勇気、思いきりを必要とする。
もしかしたらそこで述べる意見は間違っているかもしれない。
それでもそういうものとして人というものを、この世界を描く必要があって、
その都度決断して言い切らなくてはならない。
何よりも大事なのは、その熱い思いに駆られるのだということ。


僕なんかにはできない。
うまくは言えないが、村上龍はこの前者の代表者であって、
自分には到底真似できないから、なんだかとても憧れる。


前者の姿勢を貫く、ということが
13歳のハローワーク」の出版や「JMM」の発行といった
「小説を書く」にとどまらない境界線を押し広げる作業、
世の中に一石投じる行為につながっているのではないか?
同じ場所にとどまっているならば
個々の瞬間における変化のスピードが鈍くなってしまう。
誰よりもまず多大な情報の中に身を投じ、
それを「編集」して投げ返さなくてはならない。


自らの内面、あるいは目の前の出来事を見つめ続けて変化を求める作家もいれば
どこまでも遠くへ、前人未到の遥か彼方へそれを求める作家もいる。
僕の知る限り村上龍はその距離感と
その到達の仕方への力強さが日本人の作家の中では随一。
それゆえに描けるものというのがあって、
そこが最大の魅力となっているのではないか。
バックボーンが強靭なのだから、日本人のスケールでは規格外なのだから、
そりゃ小説としての凄味がドクドクと湧き出てくるのも当たり前なわけであって。
ものすごくマクロな視点を持ちえるから、ものすごくミクロにも振れることができる。
しかもかなり具体的に。
つまり、現時点で最高の観察者。


無理やりつなげるならば、
イン ザ・ミソスープ」の山手線の積み木の話、
引用したコミュニケーションの話も
そういうところから生み出されているのではないか、ということ。


(もうちょっとうまくまとめたかったけど、時間切れ)


イン ザ・ミソスープ (幻冬舎文庫)

イン ザ・ミソスープ (幻冬舎文庫)