「エル・スール」「ニューヨーク 1997」

17日の金曜日、会社をサボって家に閉じこもってた日に見た2本。

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「エル・スール」
当初の邦題は「南へ」と付け足されていたと思う。


ビクトル・エリセ監督の長編2作目。
10年に1本しか撮らない巨匠として知られることになったエリセの、80年代の作品。


スペインのどこか、北のはずれの小さな村。
永遠に謎めいた存在のまま、死んでしまった父との関わり合いを軸に
1人の少女の成長を描く。まだ幼い頃と、思春期と。
娘の、父に対する思い。父の、娘に対する思い。
お互いに言葉数の少ない、ぎこちない関係を続けていって、その距離は離れたまま。
近づくこともないが、遠ざかることもない。
そして、分かり合えない。
そこに重ねられる、「南」への思い。
娘にとっては未知の場所という憧れ、父にとっては2度と帰ることのできない故郷。


僕は前作「ミツバチのささやき」の方が好きだけど、
玄人はこっちの「エル・スール」の方を推すみたい。
それはよく分かる。地味な名場面の連続なんですよね。
というか、やはり、娘という立場にあった人、娘を持つ父親という立場にあった人ならば
これって堪えられないんじゃないかな。
娘の側からの視点、父の側の視点。
どちらに立つかによって見方がガラッと変わると思う。
僕は今回、主人公だから娘の立場で見ていた。
これを父の立場になって見たら、
「あ、そういうことだったのか」という発見が多くあるのではないか。
遠い未来、もし僕に同じ年頃の娘ができて見直したら、全然違う感慨に浸るのではないか。


大学でお世話になった先生もいかに「エル・スール」が素晴らしいか力説していた。
特に結婚式の場面。
ある日突然、父が娘を呼び出して昼、ホテルで食事を取ることになる。
ホテルのレストランはガラガラで他に客はいない。
娘は、幼い日に知った、父が心の奥底に秘めていた人のことを聞く。
もう一杯ワインを飲んだ父は、娘に、このまま学校をサボれないかと聞く。
娘は断って、その場を去る。
隣の部屋では結婚式が行われている。
そこでは娘が幼い頃、聖体拝受の日のパーティーで父と一緒に踊った曲が流れている。
父は1人きり、ポツンと、その曲を聞く。
そしてそれが娘にとって、父と話した最後となった。


見た人にどう思うか聞きたいんだけど。
父の遺品の中に、死の前日、南にかけた長距離電話のチケットがあった。
父は誰に対してかけたのか?
心の奥底に秘めていた人に、なのか。それとも、勘当された家の父か母か。


その後僕が一生独身だろうが、娘じゃなく息子を持とうが、
ジワジワと何年もかけて心に染み入っていきそうな作品。

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「ニューヨーク 1997」


何にも知らない人がこのタイトルだけ見ると
「若者のリアルな現実を切り取った恋愛映画?」と思うかもしれないが・・・
原題は「Escape from New York」アクション映画なんですね。
しかも近未来もの。公開が1981年で、16年先の未来を描いているという。


1997年、荒廃したアメリカ。
ニューヨーク、マンハッタン島は囚人を収容する巨大な監獄となり、周りから孤絶している。
そこに大統領を乗せたエアフォースワンがハイジャックされ、墜落。
大統領を24時間以内に救い出したら無罪放免にしてやると言われて、
かつての軍の英雄、今は凶悪犯のスネークは単身、
貿易センタービルの屋上にグライダーで潜入を図るが・・・


いいよねー。映画ってやっぱこういう荒唐無稽な内容でなくちゃ!!
監督はB級SFアクションの巨匠、「遊星からの物体X」のジョン・・カーペンター。
この「ニューヨーク 1997」もまた、期待を裏切らずB級。
21世紀の今見るとセットもCGもアクションも編集のテンポもみな安っぽい。
でも、面白い。映画は技術じゃないんだなー。
(なお、この作品、実はしっかり「映画暦」に選ばれている。「エル・スール」もだけど)


ハリー・ディーン・スタントンに、アーネスト・ボーグナインアイザック・ヘイズ
実は意外と豪華な配役。
ニューヨークを監視する警備施設の署長を演じたリー・ヴァン・クリーフが印象に残って
調べてみたら50年代・60年代の西部劇に数多く出演した人だった。
OK牧場の決斗」とか、マカロニ・ウェスタンの「夕陽のガンマン」とか。


普通にこれ、面白かったです。