金曜の夕方、東京国立近代美術館にゴーギャン展を見に行く。
http://www.gauguin2009.jp/
今回の目玉は、日本初公開の大作、
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
上野や六本木の美術館はよく足を運んであれこれ見てるけど、ここは実は初めて。
というか存在自体知らなかったかも。
竹橋にあるので、神保町のオフィスから歩いて行く。
平日の午後ということもあって、館内はそれほど混んでなくて居心地よかった。
展示はいくつかのパートに分かれていた。
・30代半ばにして画家を志し、ゴッホと出会う、そのブルターニュ時代
・タヒチに移り住んでから
・紀行文「ノアノア」の挿絵の版画を現存する数種類のバージョンで
・「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とその改題
・マルキーズ諸島移住後
美術的に難しいことはよく分からない。
ゴーギャンという名前を聞いて思い浮かぶ、
土の匂いのする赤、黄、緑の火照ったような色彩がそこにあった。
個々の絵については、余り惹かれず。
僕の中で好きなゴーギャンというのは、あくまでイメージに過ぎなかったのかもしれない。
伝記的な要素と、エキゾチックな色彩とが渾然一体となった。
興味深かったのは「ノアノア」の多色刷りと白黒の版画で、
眠っている娘に悪霊が取り付こうとしているとか、
大きな火を囲んで無言で座り込んでいるとか、タヒチの神話的風景を描いたもの。
絵画として描くよりも版木に彫られた線だけの方が、そういうのって伝わってくる。
聖なるものと禍々しいものとが不可分になったような情景。
そして、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
今回のゴーギャン展はただこれだけを差し出すようなものであって、あとはオマケ。
でも、実際に壁いっぱいに広がった絵を見るとそうしたくなるのもよく分かる。
確かにこれは「行き着いて」いる。
絵画という表現形態を用いられて現出した、人類の到達した1つの場所なのだと思う。
ベタな話だけど、ピカソの「ゲルニカ」に系譜的につながっていく。
人類とは何なのか、描ききっている。
タイトルがいいよね。全てを物語っている。
混沌と静寂。生きとし生けるものがすべからく向かいつつある、死というもの。
善悪を超越した、彼岸。人間という生き物が抱く感情の全て。
人類というもの、その歴史というものの脆さと儚さ。
タイトルに言うように描かれた瞬間はあくまで通過点でしかなく、全ては流転し、移ろい行く。
圧倒される。
小ぶりな展覧会で、見てるとすぐにも終わってしまう。
ゴーギャン展が1500円で、一緒に、
所蔵作品展「近代日本の美術」と「寝るひと・立つひと・もたれるひと」を見ることができる。
もちろん見てみる。
http://www.momat.go.jp/
http://www.momat.go.jp/Honkan/permanent20090613.html#detail
http://www.momat.go.jp/Honkan/Lying_Standing_and_Leaning/index.html
っつーか調べてみたら今、
フィルムセンターでは「ぴあフィルムフェスティバルの軌跡」ってのをやってるみたいね。
http://www.momat.go.jp/FC/Cinema2-PFF2/kaisetsu.html
これ、見たいなあ。
平野勝行が大友克洋原作で撮った「愛の街角2丁目3番地」はゼッタイみたい。
次の日曜か・・・
「近代日本の美術」はサーッと駆け足で見ただけ。
この辺の時代の作品の良し悪しはよく分からず。
岸田劉生とか藤田嗣治とか、その辺を名前だけ知ってるぐらい。
しかも、この2人は見てて「何かある」とは感じるものの、
それが自分にとってしっくりくるものかというとそんなことはない。
たくさん展示されていた中で、佐伯祐三だけがいい。自画像が飾られていた。
燃え盛る炎の中で溶けた真っ白な鉄が、冷えていって屑鉄になるかのようだった。
(イースタン・ユースのアルバム「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」にて
「立てる自画像」がジャケットに使われていたことから僕は興味を持った)
時代順に並んでて、例によって、最後に東山魁夷とか平山郁夫が並ぶんだけど、
やはりそのよさが分からず。
岡本太郎は別な意味でよく分からないんだけど、それでも、すげーと思った。
「近代日本の美術」「寝るひと・立つひと・もたれるひと」のどちらとも関係なく
特集が組まれていたと思われる、
川田喜久治という写真家の「ラスト・コスモロジー」という連作が掛けられた部屋があって、
この写真は凛としていてとてもよかった。
「昭和最後の太陽」とか、「都市の全景」とか。
写真集があったら欲しいと思ったけど、現在入手不可のようだ。
他の写真集もどれもプレミアがついている。
あともう1人気になった写真家で、セバスチャン・サルガドの「サヘルの飢饉」