「サマーウォーズ」

9/4(金)、午後休で病院2軒ハシゴした後、吉祥寺へ。
井の頭公園のベンチで「金枝篇」を読んで暇をつぶして、
サマーウォーズ」夕方の回を見る。
2006年の「時をかける少女」で一躍脚光を浴びた細田守監督の2作目。


本当は前の週の土曜、8/29に新宿のテアトルタイムズスクエアの閉館記念上映で初めて
時をかける少女」を見て「これは面白い!!」「奇跡だ!!」
その余韻と勢いで見に行こうとしたんだけど、
目が眩んでとにかく「いい、いい、いい、いい!!」となりそうだったんで間をおくことにした。
これは正解だったと思う。


OZ という全世界の人間が参加した Second Life みたいなバーチャルな空間が乗っ取られるという縦糸と、
戦国時代からの旧家に家族みんなが集まって、そこに主人公が紛れ込むことになり・・・という横糸。
で、アレヨアレヨという間にこの世界はもう少しで破滅を迎える。
そんでもって主人公とヒロインの恋の顛末は?


善人のおばあちゃんが死んでしまう話と世界を救う話に滅法弱い僕にしてみれば
時をかける少女」とはまた別の次元で涙腺の弱さを露呈。
花札は分からないけど、クライマックスも普通に興奮しました。
客観的に見て、今年鑑賞した映画の中ではまず間違いなく5本の指に入る。


でも、ね。
時をかける少女」をかけがえのない作品にしてみせた大切な魔法、あれが全くないんですね。
結局のところ「時をかける少女」は奇跡だったんだな。
細田守という監督は才能あると思うんだけど、あの奇跡、あの夏空の青さはあの中にしか生み出しえなかった。


奇跡はどうしたら生まれるのか?
というのは僕にも分からないので、なぜダメなのかを語りたい。


まず、登場人物とストーリーの絡み方の弱さ。
主人公の健二、ヒロインの夏希、ダーティー侘助、クールだけど熱いカズマ、
主要登場人物はこの4人ってことになるんだけど(おばあちゃんを入れて5人)、
これらの面々がシーンごとに前面に出たり引っ込んだりを繰り返すんですね。
夏希が戦うところでは健二の影は薄いし、
健二がコンピューターの前ではりきってると夏希がいない。
侘助も途中であっさりと消えて、安定した登場回数と貢献度からしたら実はカズマが主役?
前半までの物語の中核を担っていたおばあちゃんも死んじゃうし。
その後、ポッカリと穴の開いたままストーリーが展開していく。
不在を巡って右往左往して、見てて落ち着かない。


時をかける少女」の何がよくできてるって、
主要なキャラクターが真琴・千昭・功介の3人だけというシンプルさ、
三角関係は古典的だけど、関係性が揺ぎ無い。
重心が常に3人の間にあって、トライアングルの絶妙なバランスを保ち続ける。
(映画の中の主要登場人物3人ってのがなぜいいのか、というのは別途書きたい)


あと、恋愛ものとしてアウト。
見ててときめく要素が全くない。
なんだかなあ。


いい場面はあちこちあったんだけどね。
やはり静けさに満ちた夏空がバーンと出てきて。大きな入道雲が浮かんでて。
でも、「時をかける少女」を先に見てしまうとついつい比較してしまうもんであって。
時をかける少女」の夏空は見てる側にとっても永遠になるけど、
サマーウォーズ」の夏空は登場人物にとっての永遠に過ぎない。


時をかける少女」を見たとき、
遂にジブリと同じ土俵の上で勝負ができる、
だけど全然違う次元からアニメを作れる人が現れた!とやたら感心させられたけど、
サマーウォーズ」はデジタルにアップデートされたジブリみたいな印象を受けた。
まあ、要するに普通になっちゃったなあと。


それでも僕はこの細田守という監督に次回作を期待する。
ジブリと同時に公開されたら、細田守の方を見に行く。


魔法は一回限りだからこそ、いいのかもしれない。