夜、東京駅から果てしなく伸びる地下街の外れ、ベンチが並んでいて、
毎晩、とある初老の夫婦の姿を毎晩見かける。
一見身なりがよさそうで、男性の方は大学教授や会社役員と言っても通じそうだ。
しかし2人の前には少しばかりの荷物が投げ出されていて、それが2人の全財産なのだろう。
ホームレス。僕は最初のうち、全然気付かなかった。
2人は何をするでもなく、ただベンチに座っている。
時間が過ぎてゆくのをゆっくりと待っているようだ。
その先に何があるのか、2人にも分かっていない。
戸惑い続けるうちに慣れてしまった、そんな諦めと無関心が顔に浮かんでいる。
この不景気で何もかもを失ったのか。ふとしたきっかけで。
徐々に失っていくのならば、
人はホームレスというものにならないのではないかと僕は思う。
その間に手立てを講じるのではないか?
流れに逆らおうとする。雨風しのぐ最低限度の生活を保つための努力をする。
人に頭を下げる勇気だって出てくるだろう。稼ぐための新しい方策を考えるだろう。
それが突然だと、どうしていいか分からなくなる。
旅先で身包みはがされて、それがどこなのかさっぱり見当もつかない。
それまでのルールが通じない。
異国の地で、ただただ月日が過ぎていく。
それが当たり前の日常になっていく。
昼間のうちはどこでどうしているのだろう。
真夜中になったら、地下街が閉じられて追い出されるのだろうか?
いつか真冬が来る。
駅に野宿するホームレスの多くは冬の間に寒さで死ぬと聞いたことがある。
小奇麗な地下街に溶け込んでいて、
「私たちは浮浪者とは違う」「行き場がなくてこうしているのだ」
という毅然とした雰囲気がどことなく漂っている。
それでも彼らもまた、この冬の間に死んでしまうのかもしれない。
そんなことを考えつつ、僕は目を伏せるようにして彼らの前を通り過ぎる。
視界の端でチラッと観察しながら。
助けたいとか関わりたいとかそんなことは思わない。
それが彼らの人生なのだから。彼らの陥ってしまった人生なのだから。
第三者がどうこうすることではない。
冷たい?確かにそうだろう。しかし、この僕に何ができる?
毎晩弁当を買って、2人に差し入れすればいい?
それっていったい、何のために?
来年の今頃、僕だってホームレスになっているかもしれない。
その「突然」がある日訪れて。
だけどそんなこと、積極的に考えたくはない。
ホームレスになって、それでも2人は寄り添っている。
支え合うとかではない。そうするより他、なかったのだろう。
彼らが話しているのを、その声を、僕は聞いたことがない。
「死が2人を分かつまで」
そのときが来るのを、静かに待っている。