雪の降る街 書き直し(断片)

東京には雪が降らない。
「そんなのおかしい」とあなたは言うだろう。
年に二回か三回は降っているし、電車だって止まっている。
そのうち一回は降り積もって一面雪景色になる。
だけど僕に言わせればあれは雪だけど雪じゃない。
雪とは本来、もっと不気味で恐ろしいものだ。
そして何よりも孤独なものだ。
人々の心の中に入り込んできて、凍てつかせる。
積み重なった雲の塊からまるで永遠のように降り続く。
音もなく、色彩もない。そこでは全てが薄暗い。
雪国で育った人たちは誰もがそういう孤独を抱えている。
染み付いて、拭い去ることができない。
少なくともこの僕はそうだ。


故郷にはもう何年も帰っていない。
父も母も亡くなって生まれ育った家を処分すると、帰ってくる理由がなくなった。
30を過ぎてると、向こうに住んでいる中学や高校の友人たちとも次第に連絡を取らなくなった。
それは彼らが結婚して子供が生まれて、家を建てて、家庭を持ち始める時期にも重なった。
僕は相変わらずだった。仕事はそれなりに忙しく、
可もなく不可もないポジションには就いていたが、
学生時代からの六畳一間+ロフトのアパートに依然として住み続けた。
趣味と言えるものはなく、スポーツもしない。
たまに映画を見に行ったり、
東京近郊の知らない街を半日掛けて何駅分か歩いてみる、それぐらいだった。


高校時代は写真を撮ることに熱中していた。
放課後は自転車に乗って、一人、夕暮れの川原を撮ったりした。
撮影した一枚一枚が自分の存在証明を形作るように思っていた。
冬や雪の情景を写したものも何枚か、手元に残っている。
そのうちの一枚は見渡す限りの田んぼに雪が降って、
どこか見知らぬ最果ての地の、雪原のようになったものだった。
どこまでもそれは広がっている。しかしそこには何もない。
物質の残骸がわずかに点在しているだけ。
今ではそれが、僕にとっての原風景なんだろうなと思う。
それを撮ったのが高校2年の冬で、それっきり写真はやめた。
というか受験勉強が本格的に始まって時間がなくなった。
そして東京の大学に入ると、カメラを手に取ることすらなくなった。