羽というもの

昨日尻尾のことを考えたので、続けて羽のことを。
人類は鳥から進化してもよかったのになあ。
で、今も飛ぶことができる。
定住って発想はなくなるんだろうな。
巣を作って子育てはあっても、その巣が終の棲家とならず、
ただ生活圏のテリトリーだけが決まっているような。
その間を自由に移動する。


生まれてから死ぬまでほとんど動き回らない人たちのグループもあれば、
夏から冬、冬から夏にかけて地球を半周する旅人たちの群があったり。


なんか話それるけど、なぜ天使たちは羽を持っているのか。
空に浮かぶため? ただ浮かんでるだけじゃダメなの?
やはりそこには空を飛ぶ鳥の自由さへの憧れがあったのだろう。


しかし、鳥って自由なのか?
空を飛べようと地面に縛り付けられていようと、
実は大きく変わらないのではないだろうか。
周りとの関係性においてその時々の振る舞いが確定されるという意味では。
いや、それでも自由に見えるんだろうな。
地面をひたすら歩くってのは耐え忍ぶことへのメタファーか。


空を飛ぶ夢を僕は見たことがなく、
それはなんらかの脳の構造、というか得意不得意の領域によるものなのか。
カラーではなくモノクロの夢しか見たことが無いというような。


人によっては海(というか広大な水の広がり)を泳ぐ夢ばかり見るのか。
イルカやクジラのようにいつか人類が海の中へと戻っていったとき、
見る夢は心の奥深くに潜んだ地上での生活、その記憶の共有となるか。
そしてさらにその一部の人は空を飛ぶ夢を見続ける。


渡り鳥と同様に果てしない距離を旅する回遊魚というものがある。
ウナギやサケ、マグロなど。クジラもそうだ。
人間になるとそれは「旅人」というように個人の属性となってしまう。
かつてはジプシーのように移動こそがその本質というような民族もあった。
それが国家の発展と共に定住を余儀なくされた。
国や国境というものが生まれるのは仕方がない。
しかし、誰しもがそこに従わなければならないのか。
その内側から外に出られないということがあっていいのか。
しかもそれが個人の特性ではなく、国家の特性によって決まる。


もし今の人類が鳥から進化したものであっても
マーキングされてどの国家に属するものか識別される。
そしてこの国家に属するものはこの空は飛んではならない、ということになる。
人類とは分断する生き物であり、そして差別化する生き物なのだ。