尻尾というもの

人類は猿から進化する過程の途上において尻尾というものを失った。
このことを残念に思う。
無用なものこそ保ち続け、むしろ進化させるべきではなかったか。


普段はだらーんとぶら下がってて、でもある程度自由に動かせる。
巻きつけることで細長いものをつかめるとか。
エレベーターのボタンが押せるとか。
便利と言えば便利と言えなくも無いが、寝るとき邪魔だとかそっちの方が先に立つ。


衣服も尻尾のところだけ穴を開けるか、それとも柔軟性のあるカバーで覆うか。


ふと思うに、その尻尾もびっしりと毛で覆われているのかそれとも無毛なのか。
人によって長かったり短かったり、太かったり細かったりするのだろう。
敏感だったり鈍感だったり。
ピンと伸びきったままだったり、どうしてもゆるいままだったり。


たぶんですね、ある程度の長さがあったら結び目を作るんじゃないかと思うんですよ。
1つ、2つ、3つと。それがある種のサインとなる。
「私、今、○○なのですよ」という。
そこにリボンをつけたりして。


そんで結婚式では2人の尻尾を初めて公衆の面前で結びつけあう儀式
みたいなことが執り行われるんですね。教会なんかで。
披露宴でも。「今、お2人の絆が固く結ばれました! 皆様、盛大な拍手を!!」


無数の輪で飾る人もいれば、刺青を施す人もいるだろう。
ピアスのような穴だって開けられる。
外科手術によって短くしたり長くしたりする人も現れる。


人類の身体表現の可能性は格段に広がる。


ごくまれに、尻尾の名残のようなものが生えたまま生まれてくる人もいるようだ。
そういう人たちを集めて
何千年・何万年とかけて人類はまた尻尾を伸ばすべきではないか。
ここに提言する。