SF疲れ

ふと気付いたらSFを読まなくなっていた。
新刊に古本にせっせとハヤカワ文庫を買い集めたのに、ロフトに積読のまま。
創元のディックも、サンリオの珍しいのも。


その代わりにミステリーを読むようになった。
海外旅行に出かけるときとか、年末年始の帰省とか、
移動中に読書そのものを楽しみたくて読む本の筆頭はここ数年
オットー・ペンズラーの年間傑作選など
アメリカの推理小説の短編集だったりする。
(あるいは、ミュージシャンの伝記や自伝か)


他にも読むべき本が絶えずあるというのもそうなんだけど
そもそもSFを読むのが疲れてきた、しんどいというのがある。
古典はまだいいとして、最近のは読み物としては面白いけど、
ひとつにはうまくなりすぎたということ。
もうひとつは、現実に追いつかれてしまったということ。


いや、もちろん人類はスペースコロニーで生活はしてないし、
太陽系の外すら出てはいない。
なんというか、SFの想像力が現実の想像力に追いつかれたというか。
この世界の未知の部分を埋めるための想像力としての役割を
ある時期までのSFが担っていたとしたら、
その役割がいつのまにか終わってしまっている。
強いて言うならばそれが起こったのは1980年代か。


グレッグ・イーガンなんかはその辺りとてもがんばっていると思う。
しかし、トリッキーでアクロバットすぎる。
先のほうに進めるだけ進んだ現代科学を基準にしてSFの想像力が起動するから、
ものすごくニッチな方向で思いっきりアクセル踏まないと想像力が羽ばたかない。


あとは純文学やその他のジャンルと融合するか。
あるいは閉じこもって、ひたすらに最先端のサイエンスを求めるか。
ひところのハードロックがヘヴィメタに進化/退化したところに近いものを感じる。
やはりそれも1980年代だったか。
その後オルタナティブに分派する動きもなんだかよく似ている。
多様化して、細分化して、それは結局全体的に小さくなっていく。
ヒップホップや R&B といった全然畑違いのものには太刀打ちできない。


そういえば水色のハヤカワ文庫は、版型が変わって一回り大きくなってからは
なんだか本棚での落ち着きがよくなくて新刊は一冊も買ってない。
旧作の出し直しばかりだし。残念だ。