シュレッダーというもの

社会人10数年目。30代も半ばになって
自分はシュレッダーというものが好きなのだということに気付いた。
居室では当番制になっていて本来は月曜だけなんだけど、
そこのところは構わず、気が向いたらいつだろうと持って行く。
不要になったA3/A4用紙を溜めておく箱が隅のほうにあって、
今日はたくさんの紙が入ってるなあってことになると思わず顔がほころぶ。


1回分を電話帳ぐらいの厚さにして、紙の束を小脇に抱えて運んでいく。
隣の部屋のシュレッダーに向かい合って立つ。
10枚程度となるように選り分けて投入口に流し込む。
ガタガタガタと吸い込まれていく。
これが枚数が薄いと物足りないし、厚過ぎると途中で止まってしまう。
毎回無意識のうちに適量とするには熟練の技が必要とされる。
この無審査がいい。焚き火に当たっているようで心が和むし、
時によってはワクワクもゾクゾクもある。
タテヨコ不揃いでクシャクシャになった束が消えていくのはとても壮観だ。
一日の仕事のうちで最も達成感とやりがいを感じる。


しかし、…そんな気持ちになるのは、どうも僕だけっぽい。
サボってるように思われるのが残念である。
「毎日僕がシュレッダーの担当でもいい」と発言しても本気に受け止められず、
「だったら他の仕事をしてください」と言われる。
セキュリティ・インシデントを防ぎ、森林資源のリサイクルともなる。
長い目で見たときに何よりも有意義な仕事のはずなのだが…


年末大掃除なんかで一日中シュレッダーとなると楽しいだろうなあ。
パラダイスだ。
超巨大組織で働いていたらそういう役回りもあるのかな。
シュレッダーだけを担当して30年、というような。
憧れる。独自の哲学さえ、生まれそうに思う。
僕は始業のベルと共に眼鏡を掛け直し、
白のYシャツの肘から袖口までを覆う例の黒いカバーを左右に、
毎朝そうしてきたように左からつけて、指にフィットする白の手袋をはめる。
シュレッダーの前では両足のバランスよく脚立のようにスクッと立つ。
決して片足にバランスをかけたりはしない。威厳をもって、常に姿勢は美しく保つ。
そして左腕に紙の束を抱え、
右手は滑らかな機械のように必ず10枚ずつを正確に選り分けて流し込む。
オーバーフローしても慌てない。さっと開けて紙屑で詰まったゴミ袋を取り出し、
次のゴミ袋をよじれて固まりにならないようにセットする。ドアを閉じる。
こぼれた紙屑をコロコロで掃除するのも怠らない。


プロフェッショナルなシュレッダーの達人。
世界トップレベルの技術を誇る、一流の社員。
廊下を歩いていても一目置かれる。
「こんなときどうしたらいいんですか?」と相談もされる。
そこに対して僕は人生の機微になぞらえて、軽い咳払いと共に静かな声で返答する。
そのような人でありたい。


…といったことを考えながら今日の昼休みもまた、シュレッダーの前に立つのである。