シベリア、サハリン、カムチャッカ

昨晩、図書館に寄ったついでに旅行関係の書棚を眺めて、
地球の歩き方』の「シベリア&シベリア鉄道とサハリン」篇を借りた。
借りるのはタダだからもう1冊JTBのガイドブックも借りてみた。
特にカラー写真の豊富なものを。
会社鞄の中に入れっぱなしにしていて
今日の朝、地下鉄の中で気分転換にめくった。
シベリア鉄道のことを考えたかったんだけど、
気がついたらサハリンとカムチャッカ半島に心そそられていた。
特に後者。ロシア、カムチャッカ州の州都はペトロパブロフスク・カムチャツキー。


日本人の多くが実際そうだと思うが、
カムチャッカ半島のことなんて深く考えたことも無かった。
自然が豊かでどこかエキゾチックで、北極圏に近いのだから極寒の地という程度。
国語の教科書に乗っていて、確かCMにも使われた
谷川俊太郎の詩「朝のリレー」の一節。これを思い出す人もいるだろう。
カムチャッカの若者がきりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている』


ガイドブックを参照するとどちらも冒頭のカラー写真にて
カムチャッカ富士」と呼ばれるコリャークスキー火山と
アバチンスキー火山が紹介されている。
これが町の背景としてそびえている。
ゆえに温泉があり間欠泉がある。そして氷河もある。自然が豊か。
ロシアでは観光地として力を入れているという。


しかしそれもソ連邦崩壊後の1992年から。
第二次大戦後から冷戦時代までは
極東における軍事上の要所ということで封鎖され、
国内においても行き来が制限されていた。


元々この地にはコリヤーク、イテルメン、エベン、アリュート、チュクチなどの
少数民族が住んでいたが、17世紀末よりロシアの支配下となった。
ベーリングがこの海域を探検し、アラスカを発見したのもこの頃。
(それは逆に言うとユーラシア大陸アメリカ大陸が
 地続きではないという発見だった)


日本との関係で言うと忘れてはならないのは大黒屋光太夫
1783年、江戸へと向かう船が嵐で難破。
その7ヵ月後にアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。
先住民族と毛皮商人だけがいる何も極寒の島にて
他の乗組員と共に3年から4年船が来るのを待つも、その船が座礁
しかしそこで諦めず残骸から船を作ってカムチャッカ半島へ。
イルクーツクまで渡るものの日本への帰国は認めらず、
ユーラシア大陸をはるばる横断して(もちろん鉄道など無い時代だ)
1791年にエカテリーナ2世に謁見してようやく許可が得られたという。
日本に戻ってこれたのはその1年後となる。
などなど。当時としてはものすごい冒険だ。


いろいろ知ると行ってみたくなるもんです。
日本からはハバロフスクウラジオストク乗換えで。
夏には定期チャーター便も出るようだ。
サハリンのユジノサハリンスク経由もある。
以前、稚内からサハリンのコルサコフまで夏季にフェリーが出ていることを書いた。
ここまでなら休みさえ取れればそれほど難しくなく行くことができる。
しかし、その先がある。一生に一度、どこかで訪れてみたい。