編集学校の先輩たちがゴールデンウィーク直前の平日、
閖上から田老まで北上するという三陸沿岸の被災地を巡る旅に出た。
昨晩は四谷三丁目の「喫茶茶会記」にて有志の集まりとなり、
そのとき撮影した写真をプロジェクターで映しながら見せてもらった。
最初は見に行っていいものだろうかと悩んだが、
出発の前日、陸前高田市の市長が
「多くの人に現状を見に来てほしい」
と語ったことが背中を押したという。
その陸前高田市の津波が押し寄せたときのままに残されたねじくれた体育館や
奇跡の一本松とその横に聳える水門。
高台から臨む荒れ野原のようになった南三陸町。東松島市の青い鯉幟。
骨組みだけが残されてカーテンが風に揺れる家屋。
そのソファーにボロボロになった人形やぬいぐるみ。
どこであったか、図書館の床に積まれた、ページのめくれあがった無数の本の残骸。
わずかばかり残されたモニュメントのような、祈りの場のような建物たち。
その周りは瓦礫も撤去され、更地になっている。何も残っていない。
どの写真を見ても誰も映っていない。
犬や猫の姿もない。わずかに鳥の姿が時々掠めるだけ。
そんな光景がどこまでも続く。
震災後のニュース写真を集めたムックを僕も何冊か買った。
破壊しつくされて、確かにそれはゾッとするようなものだった。
しかしそれはひとつの状況にて、ひとつの場所にて
1枚ずつ選び抜いた写真を並べたものだったので前後の文脈が分からない。
記録として保存するためにそこだけ切り取られたかのような。
今回のように一人のカメラマンが連続して撮影した写真が
無造作に並んでいるとそこに撮る側・撮られる側のストーリーが浮かび上がってくる。
その次の写真でさらに近づく。あえてぐっと離れる。
その広がりが感覚的につかめてくる。
ようやくこの僕にもそこがどういうことになっているのか、少し分かってきた。
一年かかって、そうか、風景とはこういうものなのか。
そこにはたくさんの出来事があったけど、一晩では咀嚼できず。
今日はここまで。