サハリン旅行・北海道移動:8/23

6時半(日本時間4時半)起き。
テレビをつける。BSにする。
朝早くだからか「夏の熊野古道を歩く」という映像と状況音だけの番組。
ナレーションはなかったように思う。
荷物を整理し直したら、3つ目のお土産袋は不要となって
リュックサックに全て詰められた。
部屋を出る。ホテルの女性がトランシーバーを持って廊下に立っている。
部屋番号を聞かれて鍵を見せる。
僕が滞在していた部屋に合鍵で入っていく。
冷蔵庫のミニバーを使用したかどうかのチェックか。
忘れ物がないか確認もしてくれるだろうか。


少し早めに1階に下りてチェックアウト。追加精算はなし。
ドライバーの方とは7:30にロビーで待ち合わせ。
団体ツアーの添乗員の方がひとりで先に待っている。
そこにロシア人女性がタクシーに乗って来る。
乗船手続きまでのサポートなのだろうか。
日本語で世間話をしている。
日本は世界で一番薬が出回っているが、
日本の薬は製品名であって薬剤の名前ではないから…


2日目の東南アジア系のドライバーの方が迎えに来る。
感じがよかったので最後が彼でよかった。
チェックアウトしたかどうかの確認の後、さっそく乗り込んでコルサコフへ。
ユジノサハリンスクをあとにする。
日本製の車だったからカーナビも日本語だった。
ドライバーの彼はいつも往復している道だからか、利用しない。
地図の代わりに基本情報が表示される。外の気温 18℃
燃費情報として給油後平均 6.1km/l 航続可能距離距離 204km
走行情報として平均車速 35km/h 走行距離 4km
ラジオをつける。ロシアのFM局でマリア・シャラポワをネタにして
男女2人のDJがなにやらジョークを言っていた。
電波の入りが悪くなると局を切り替えた。
ヨーロッパの「ファイナル・カウントダウン」が流れた。


郊外に出て一直線の幹線道路へ。
日本の高速道路とは違う。アメリカのハイウェイみたいなもんか。
左右に曲がることはないが上下のアップダウンは頻繁にある。
三車線。真ん中の車線は左右どちらかに割り振られ、
今属している方を走っているならば二車線間は追い越し可能として破線となる。
周りを木々に囲まれて緑の中を走る。
やがて右側に海が見えてくる。朝日を浴びて淡い小麦色に染まる。
コルサコフの町に入って小さな民家が群れているのが見えてくる。
古びた木造の家もあれば日本のような小奇麗な新しい家もある。
ユジノサハリンスクの中心部、通りに面したところでは
個人の家は見当たらず、皆集合住宅だった。
コルサコフにも集合住宅はあるが小さく、ポツリポツリと。
民家であろうと集合住宅であろうと
衛星放送のアンテナを立てているところが多かった。


8時(日本時間6時)フェリーターミナルへ。ここでガイドの方と別れる。
「スパシーバ、ダスビダーニャ」(ありがとう、さようなら)
施設に入ったら殺風景な待合室の次にいきなり手荷物検査と出国審査で
日本のように乗船券のチェックや手荷物を預ける窓口がない。
ロシアン・ポップスが流れてフレンドリーな雰囲気を、ということもない。
出国審査を終えると出入国カードの半券と青灰色の厚紙カードが手渡される。
後者は出国審査を終えて船に乗るまでの身元を保証するためのものか。
出てすぐの待合室でしばらく待つ。
バスが待っているので外に出ようとしたら「ニェット」と遮られた。
多和田葉子『飛魂』を読んで1時間ほど過ごす。
麻薬操作犬なのか係員のペットなのか、
ふわふわした茶色い小さな犬(コッカースパニエル?)が入ってくる。


今回の日程で僕と同様団体のツアーではなく個人で旅行している若者がいて、
彼もまた同じタイミングで待合室へ。
「どこ回りましたか?」などと話しかけてもよかったんだけど
(昔の自分とは違ってそれは気軽にできるようになったんだけど)
船を下りて別れるときのぎこちなさが苦手で結局話しかけず。
同じ日程だった団体のツアーの方たちもガヤガヤと賑やかに入ってくる。
見覚えのある顔ぶれ。行きのときに見かけなかった、
小学生の高学年と思われる子供たちと引率の父兄か先生。
北海道の子供たちのサマーキャンプみたいなもんか。