「われら動物園の子どもたち」(仮)

冒頭の部分を書いてみる。

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動物園の夢を見る。
私は知らない町を歩いている。
いや、私はその町のことを知っている。
空は灰色に曇っていて、凍えそうなぐらい寒い。
私はコートの襟を立てて歩いている。


その夢を見るときは、いつも同じ動物園だ。
私はひと気のないゲートをくぐって、檻の間を歩く。
フラミンゴやハイエナといった看板が脈絡なく並んでいる。
その前を通るとき、動物たちが私のことを見る。
円を描くように歩いていたのを立ち止まって。
束の間眠っていたのを目を覚まし、首をもたげて。
私は、私がどこに向かっているのか分からない。
園内はとてつもなく広い。
何も聞こえない。
そこには音があるはずだけど、私には聞こえない。


最初に気づいたのは、サトコと会ったときだった。
何年ぶりだろう。
代官山の、サトコが気に入っているということで入った
アンティークショップ。
その隅のティールームでお茶を飲んでいた。


「ねえ、なんで会いたくなったかっていうと、
 わたし、ときどきユキコの夢を見るの」
「夢?」
「そう。わたし、動物園の中にいて、檻の中で、
 そこにユキコが通りかかる。
 わたし、なぜか自分がネコだということを知ってる。
 おかしいよね。普通、ネコって動物園にいないのに」


そこで一息ついてお茶に口をつけた。
確かに、サトコはネコっぽいと皆に言われていた。


「いつも同じ。わたしが檻の中のネコで、ユキコはヒト。
 そしてユキコはわたしのこと、気づかずに通り過ぎていく」


それから数週間経って、年末年始の休暇で故郷に帰った。
高校時代の友人たちと会って、お酒を飲んだ。
四人のうち私ともう一人は東京に出て、二人は地元に残った。


「そうそう、最近夢にユキコが出てくる」
「え?」
「動物園にいてさぁ、檻の中を歩いてる。あたしはクジャク
 きれいな、緑色の羽を広げる。サーッとね。
 そこにユキコが、古ぼけたコートを着て」
「いつから?」
「わかんない。そう思うと、ずっと昔からかもしれない。
 それがユキコだって知らない頃から見てたよーな気がする」


銀座の夜の街で働いている派手好きなチアキを例えるなら、
そう、クジャクだ。


「ふーん」とマユミが言う。
「動物園の夢なんて見ないけど、時々見てる夢があって、
 現実には存在しない知らない町なんだけど、
 その夢を見ると、あ、また来たって思う。というか感じる。
 で、その町の中をずっと歩いてる。
 何かを探してるのに、見つからない。
 もどかしいまま夜が明けて、目が覚める。
 どこかに行こうとしてたことだけ覚えてる」


キョウコも、同じような夢を見ると言った。
それがなんだか近頃増えたとも。
ふたりは旦那がいて子供がいて家も車もあって、
傍目には満ち足りた生活を送っているようでいて、
会って話してるといつも最後は閉鎖的な地方都市の中で
自分は何かを見失っている、そんなことを語りだすのだった。
その日もまた、結局はそういう話になった。


夜もふけて店を出て、一人になる。
チアキと、大学で出会ったサトコとの接点は何なのだろう?
そんなことを考えながらバスに乗って帰った。
二人を会わせたことはないし、会話に出したこともない。
私が接点だというだけ。


年が明けて東京に戻って、その週末にマサトと会ったとき、
なんとはなしにこのことを話した。


「あ、だったら俺も見るよ」


一人きり町をさまよっているのだという。


私は時々マサトの夢を見るし、マサトは私の夢を見る。
だけど「その夢」を見ているときは
どちらも互いの夢に出てくることはない。


その後もう一人、動物園の夢を見るという人に出会った。
昔同じ部署で同じプロジェクトに関わっていたマツザワさん。
歓送迎会に誘われて顔を出してみたら半分は知らない人たちで、
その中に夢占いをするという女性がいた。
マツザワさんが「檻の前を一人歩いていて…」と話し出すと
新人と思われる若い男の子が
「うそ、俺、そのときのマツザワさん出てきたことあるっすよ」
と驚く。
「そのときなんでだか、俺っていつもーライオンなんすよ」


こんなことをぼんやりと考える。
この世界とは別にもうひとつの世界が存在する。
その中心には動物園がある。
その関わり方には三種類あるようだ。
動物たちと、観客の人間と、その動物園にたどり着けない人たちと。


いや、もしかしたら私が知らないだけで、
そこには飼育係や窓口の切符係だっているのかもしれない。
毎晩小さな部屋に一人きり座って、
誰かがそれを見つけてくれるのを待っている。