節分というもの

今日の朝、床屋で髪を切ってて恵方巻の話になる。
いつのまに定着したんでしょうねと。
そうだ。僕も不思議に思っている。
昨晩、大手町の地下道のコンビニの前を通り掛かっていたら
恵方巻の試食と予約受付を行なっていた。
今あちこちのコンビ二でポスターを張り出して大々的に宣伝している。
日本人はほんと季節ものが好きなんだな。
ハロウィンも定着したし。


日本人の文化の根底あるのはやはり稲と米であって
その田植えから収穫までの一年のサイクルの合間合間に
祭りのような節目が日々差し込まれるという
そんな文化の型のようなもののことを思う。


節分なら豆まきですよね、という話にもなる。
なんで年の数だけ食べるんでしょうね? と。
昔はタンパク質を採るには大豆が一番手近な食べ物だったから、
健康を願ってこの日にたくさん食べようとしたのじゃないかと
床屋のおばちゃんが言ってて、なるほどなあ、そうかもなと思う。


調べてみると「節分で撒く炒った豆は福豆であって、
年の数だけ食べると縁起がいいからです」なんてあるけど、
よく考えると理由になっていなかったりする。
じゃあなんで縁起にいいの? と。


ちなみに青森では大豆ではなく落花生を撒く。
後で広いやすいからという、青森にしては珍しい合理的な精神。
だったら千葉も? と思うとそうではないらしい。
北海道・東北・上信越地方が落花生とのこと。
ちなみに年の数は、殻付きの状態で数えるところが多いようだ。


そんなわけで今日も三時のおやつはでん六の磯福豆だったりする。
一度食べだすとやめられない。