インターネットの未来について考える '2014

インターネットの未来について考える。
PCブラウザはもはや画期的なものが登場するとは思えず。
デスクトップであれノートであれ、
そのハードウェア的な制約がはっきりしてそれ以上進化できなくなって数年経つ。
FireFox / Chrome / Internet Explorer / Safari があればもういいでしょ?
今更似たようなレベルのブラウザを開発したいというところは出てこないだろう。
よほど画期的な新技術ないしは使われ方が生まれない限り。


白黒のテキストがカラーになり、スタイルを持たせられるようになり、
線画が描けるになって画像が貼れるようになって、音声を再生して、
アニメーションが動いて、動画も埋め込まれて、
(ブラウザじゃないけど)カメラがあれば双方向の通信も可能になった。
あとなんかやるべきことはありますか? という。
メガネをかけて3D表示でもないだろうし。
3Dプリンタとの何らかの連動ぐらいか、思いつくのは。


あと1・2年はスマホがインターネットの動向を握るんだろうね。
そのデバイスとしての進化がコンテンツを左右する。
その逆にはならない。
というかこれ以上スマホに進化なんてあるのかな。なさそう。
容量と速度ぐらいしかもはやないのでは。


コンテンツの未来で言うと
facebook に代表されるような 単純な SNS は残りつつ、
もっと複雑なことが手軽に行えるものが出てきてもよさそうな。
双方向のやりとりで「場」をつくるということが求められているとき、
例えば今更ですけど、初音ミクの存在って
何かひとつのモデルを提示しているように思えるんですね。
ソフトウェアを扱えるようになって曲を作成して公開して、
初音ミクというキャラクターが一人歩きして増殖する。
メディアをまたいで小説になりフィギュアになり、
形あるものとしてリアルへと侵食する。
実際に観客を集めてライブも行なわれた。
そしてそれはアニメやアイドルといった
それまでの日本のオタク文化の集大成でもある。
Xperia」との連動企画なんてのもあったな。


ネットの向こう側だけで完結するものではなく、
じゃあリアルにはオフ会があるというだけではなく、
いかに両者を重ね合わせていくか。ハイブリッド。
そこに日本らしさを見出すならば「縁」というものではないか。
単なる接点ではなく、情緒をも含む。
出会いというよりもそれは因果に近い。
縁起であり、縁側。