国分寺〜小平〜国立を歩く 前編

昨日日曜は国分寺〜小平〜国立にゆかりのある数名が集まって
この辺りを終日歩いた。


集合は12時に国分寺だったんだけど10時と早めに来て、
駅の周りを歩いてそのまま学芸大のキャンパスまで行ってみた。
駅の南口はそれほど変わってなかったけど、
北口は再開発なのか出てすぐのところが更地になって白い柵で覆われていた。
本屋に始まりなんとなく覚えていた店のいくつかがなくなっている。
取り壊されてはいなかったけど、駅前のマックも昨年夏に閉店していた。
35年間のご愛顧ありがとうございましたと貼紙がしてあった。
商店街に入る。オリンピックが西友になり、多くが入れ替わっていたけど
「虎萬元」の一軒家や「千成ホテル 味の名店街」が今も残っていたのが懐かしかった。


学芸大へ。映画サークルのつながりで何回か訪れたことがあった。
先輩の撮影もここでしたように思う。
冬の桜並木の下を歩いて正門へ。
休み期間なので学生の姿は少なく、閑散としていた。学食がひっそりとしている。
部活の練習なのか、体育館からは熱心な掛け声が聞こえてきた。
地味でこじんまりとしたキャンパスだけど
ミツマタロウバイケヤキと豊富に植物が植えられているのがいい。
梅も咲いていた。


図書館にこっそり入ってみる。小中高の教科書とその指導要領が棚に並んでいる。
高校の現代文の教科書をいくつか手に取る。
僕が20年前に読んだのはどれだったか。どの出版社だったか。
もちろんそれがそのまま残っているということはなくて、見つからず。
それにしても中島敦山月記」や谷崎潤一郎「陰翳礼讃」は
どの教科書にも載っているものなんですね。
最近の人だと高橋源一郎茂木健一郎養老孟司といった名前をよく見かける。


駅に戻る。丸井に入る。一番懐かしいのは実はここか。
一橋学園から一駅乗って中央線の駅。一番最初に出会う都会、その象徴。
地方から出てきた友人たちの何人かが店員に勧められて
よく分からないまま丸井カードを作っていた。
入ってみると建物の半分が「セレオ国分寺」になっていた。いつからだろう?
新星堂は覚えていた場所から移動していた。
ユニクロが入っていたのが時代の流れか。
今調べてみたらセレオになったのは昨年10月とのこと。
その前は専門店街「エル」そう、そうだった。


12時になって合流し、多摩湖線に乗って一橋学園駅へ。
窓の外にのんびりとした住宅地が広がる。
空は晴れていて柔らかい日差しが降り注ぐ。
下りてさっそく駅前の「戸隠」へ。立ち食いそば屋。
カレー牛めし500円にする。僕らが学生時代の頃は裏メニューだったように思う。
カウンターの中はおばちゃんが2人。そのうちの1人は顔と声に見覚えがある。
20年、もしかしたら30年以上ここでずっと蕎麦を茹で、牛めしを盛り付けていたのだろう。
じっくり煮込んでホロホロと崩れやすくなった牛肉が
甘すぎない、優しい味のタレが染み込んでいてこれがカレーライスと絡んでなんともうまい。
一緒に食べた皆もおいしいと言ってくれた。
早々と食べ終えた僕はカウンター脇で
グツグツ煮込まれているおでんが気になるんだけど、我慢する。
テレビでは東京マラソンの中継。


食べ終えて一橋学園駅の東側へ。
一人が昔東側の店でバイトしていて、その店まで歩いていってみる。
2年間住んでいたのにこちら側を歩いたり自転車で通り抜けたのは1回か2回あるかどうか。
国土交通大学校自衛隊駐屯地、警察学校と並んでいてお硬い一画。
なぜか道路も定規で引いたように一直線。桜並木の下はまだ雪が残っていた。
商店街に出るとフクロウやワシを鎖につけて放し飼いにしているペットショップがあった。


また駅まで戻ってきて、寮時代にお世話になった「一松」を見に行ってみる。
この界隈の路地裏の商店街が「どぶす商店街」なのだと知る。
小平キャンパスへ。また建物が増えているように思う。国際交流関係か。
一橋寮を見に行く。セキュリティが強化されて中には入れない。
裏手に回る。僕が昔住んでいた部屋には今、誰が住んでいるのか。
グラウンドではサッカー部が試合を行っていた。


玉川上水を歩く。谷底を清んだ水が流れている。
雪がまだ残っていて、それが解けて泥だらけ、ジーパンの裾が大変なことになる。
「いろりの里」から三味線の音が聞こえる。
まだ実験店舗の段階で200円のドリンクバーだけで一晩いることのできた
「ガスト」が今も生き残って営業している。
今から20年前。ハンバーグランチが380円などとてもお世話になった。


歩いているうちに雰囲気のある喫茶店を見つけ、入ってみる。
おばちゃんが1人でやっていて、
植木屋の旦那と花屋でステンドグラス教室も開いているおばちゃんとが13年かけて
建てたとのことで石と木の組み合わせがいい。
紅茶を飲む。奥の部屋が娘さんのネイルサロンと兼用というところはご愛嬌。
小平市でつくったオープンガーデンの地図をもらう。
25個紹介しているうち、大半が個人の庭。「いろりの里」も入っていた。
http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/007/007479.html


津田塾大学の前まで行ってみて、その後鷹の台〜恋ヶ窪と歩く。
津田の子が多くこの界隈のアパートに住んでいた。
茶店のおばちゃんからこの辺に住んでるの? と
聞かれたことをきっかけに「ストーム」の話をした。
4月の2週目だったか3週目だったか。
夜、一橋寮の新入生が集会室で決起集会を開催し(まあつまり一気飲み)、
寮委員長が竹刀を持って現れて「オマエらいけー!」と。
津田の寮まで走っていく。この日だけは敷地内に入ることができる。
とはいってもどこでも好きな部屋に入れるわけではなく、
あなたはこっち、あなたはそっちと津田の寮委員が振分けする。
部屋の中に津田塾生が何人か集まっていて、
5:5ぐらいで用意されていたお茶を飲む。
たいがい新入生だけということはなくて上級生も混じっている。
このとき、デートの約束はおろか
何であれ記念となるものを持ち帰れなかった人はヨワゾウと呼ばれる。
一橋から津田塾へ、というのが「ストーム」
その一週間後に津田塾の寮生が一橋へというのもあって「ブリーズ」という。
まあもちろんこの「ブリーズ」に来る女子学生は少ないもんであって。
余りにも汚すぎる一橋寮に恐れおののく。