(5/5(月)のこと)
6時に目が覚めて、二度寝したら9時。
朝、ホットドッグを食べる。
昨晩東京で震度5の地震が起きていたと聞く。
熊本日日新聞を広い読む。4コマ漫画がくまモンなんだけどクオリティが低い。
いいんだろうか。監修は小山薫堂。
チームの師範代から相談事が来ていて、メールを送る。
11時半、昼食。中華料理の店に入ってコースをご馳走になる。
皿のひとつひとつにピンクや黄の色をつけた塩で作った白鳥や
人参を刻んで作った金魚や龍が飾られていた。
こういうのもストーリーがあるんだろうなという話をする。
メインディッシュにて料理長が挨拶に来る。
「龍の飾りですか? 2時間かかってますね」
車で送ってもらい、熊本洋学校教師館ジェーンズ邸を見に行く。
同じ敷地内に夏目漱石の旧居がある。こちらは中を見ることはできず。
熊本で6回転居したうちの3番目、
『吾輩は猫である』のモデルだった書生股野義郎住んでいたとされる。
ジェーンズ邸は入館料200円。
館長の方が丁寧に説明してくれた。
リロイ・ランシング・ジェーンズ先生は
明治4年から9年まで熊本洋学校の先生としてアメリカから招かれ、
英語だけではなく幾何学や天文学、地理学といった学問全般を一人で担当し、
アメリカから農機具を取り寄せて近代的な農業も教えた。
その間住んでいた洋館が当時の人に珍しがられて
弁当持参で田舎からも見学に来たとのこと。
アメリカに戻ってからは洋学校は廃止、翌年10年に西南戦争が起こる。
このときジェーンズ邸の一室が日本赤十字発祥の場所となった。
5年の間に200人の生徒が学び、
その中には徳富蘇峰、同志社大学総長にして宗教家海老名弾正、
東京農業大学初代学長横井時敬らの名前がある。
徳富蘇峰の姉初子や横井小南の娘みや子のふたりは
日本で初めて男女共学で学んだ女性となる。
200人の生徒というとまあそんなもんかと思うが、
実際のところは初年度の入学生46人に対して応募者は500人近く、
及第点を取って卒業できたのはたった11人であるという。狭き門。
(席次表の掲載された新聞が残されている)
次の年も同じ11人。これら22人と下の学年の10数名と一緒になって、
新島襄が設立したばかりの同志社大学へと移ったのが「熊本バンド」となる。
彼らはジェーンズ先生の影響を受けてキリスト教に入信するも
当時キリスト教は公に認められていなかったため
熊本での居心地が悪くなり、外に出ざるを得なかった。
その彼らが同志社大学の礎となり、
後にはその多くが日本にキリスト教を広めるために活躍したのだった。
新島襄は熊本バンドという「輸血」がなかったら同志社大学は、
日本におけるキリスト教は、今日あるような姿にならなかっただろうと語った。
ジェーンズ邸を出てその近くの熊本近代文学館へ。県立図書館の中にある。
喫茶店で窓の外の庭園を眺めながら旅日記の続きを打ち込む。
近代文学館は展示スペースふたつのこじんまりとした空間。
熊本の文学者たちということで
夏目漱石、種田山頭火、中村汀女(この3人は等身大の紙人形も飾られていた)、
谷川雁、高群逸枝、小泉八雲、徳富蘇峰、徳富蘆花が大きく扱われていた。
石牟礼道子が案外扱いが小さい。35歳で夭折した渕上毛銭が気になった。
「生きた 臥た 書いた」という言葉を残している。
三島由紀夫の写真もあった。神風連に興味があって取材に来ていた。
このとき、「熊本は心の故郷だ」と語っている。
特集は木下順二。「小説は競馬、戯曲は馬術」という言葉が印象に残った。
図書館の中では江津湖にちなんだ文学作品のパネル展示も行われていた。
夏目漱石、中村汀女、徳富蘇峰。今回のために特別に製作されたのだろう。
こういった展示、近代文学館の人たちも図書館も人たちも頑張っているのだが、
(熊本近代文学館報も定期的に出している)
見に来ている人たちの姿はなし。もったいない。
高校生なんかが見たらいいのにな、と部外者ながら思った。
図書館のチラシのラックを見ていたら
熊本県職員の募集要項があって、表紙がくまモン。
いいのだろうか…
夕暮れ時、上江津湖を歩く。
芭蕉園の芭蕉の多くが高く破を伸ばしつつも幹の部分は枯れていて、
その上の方ではバナナのような実もなっていて、
ここはどこの南国か? と思う。
川沿いに出ると家々の背後も南国の木が生い茂っている。
夏は子どもたちが入って遊ぶという大きな池。
コンクリートの枠に囲まれていてプール?
真ん中には象の滑り台がぽつんと置かれていた。
隅の方は茶色い藻に覆われている。
更に歩いて行く。対岸にボート乗り場。
目の前の公園で女子中学生か高校生がダンスの練習をしている。
浅瀬に平らな岩が並んでいるような水辺の遊び場がチラホラとある。
柵で囲まれたスイゼンジノリの養殖場。
建築家が自由に想像力を羽ばたかせたかのような大きな邸宅が並んでいる。
ここは超高級住宅街か。大人たちが談笑する声が聞こえる。
橋を渡って対岸へ。夕暮れの日差しの中、影になったボートが水面に広がる。
パンダや白鳥だけではなく、キティちゃん、ドラえもん、
そしてもちろんくまモンのボートがあった。
夜は車に乗って居酒屋へ。「十徳や」というここ数日色んな所で見かけたとこ。
熊本名物ということで馬刺しを。その他キビナゴの刺身など。赤い餃子もあった。
この日もまた温泉へ。昨日とは別なところ。
ここにも仰向け・うつぶせの湯と歩行浴がある。熊本のはやりなのか。
男湯の熱いのはアキレス、少し温めのはポセイドンと名付けられていた。
風呂から出てコーヒー牛乳を飲む。
帰ってきて22時半。午前1時前に眠る。
『チリの地震』を読み終える。