「生物多様性とサルの勝手」

木曜は塚田さんの「温室」にて
「TERRAIN VAGUE(テラン・ヴァーグ)vol.31 生物多様性とサルの勝手」
を聞きに行った。今年は申年ということでこのテーマ。
 http://terrainvague2015.blogspot.jp/2016/04/terrain-vaguevol31.html


講師は高尾に住む坂田昌子さん。
高尾山の自然を守るNGOの代表であり、
生物多様性の国際会議に出席し、古書店の店主でもあるというパワフルな方。


いろいろ刺激劇な話を聞いたメモを。
記憶違いもあるかもしれませんが。


・猿は畑の野菜をほじくり返してかじるのであるが、
 万遍なくちょっとずつ食べては捨てる。
 もちろんその野菜は農家ならば売り物にならなくなる。
 イノシシは全部食べる。
 なぜ猿がそういうことをするかというと、
 この食べ物は安全とわかったら群れの他のものに与えるという
「消極的な分配」を行うため。


・猿のことを「エテ公」と呼ぶ。「得手」のこと。
 これは関東だと蔑んでるように思われるが、関西だとそうでもない。
 その証拠に、動物の中で猿だけは「おさるさん」と尊敬をこめて呼ばれる。
 他は猿と仲のよい馬だけ。「おうまさん」
 猿は象と牛とも仲がよいとされるが、これは孫悟空が世話をしたことになっている動物。
 孫悟空が猿の種類としては「キンシコウ」なのかどうかは今も不明。


・高尾山の麓の村の風習として、
 妊娠すると神社(だったか)から白い人形を家に持ってくる。
 出産して落ち着くと人形を返すというのがあった。
 いつの頃からか人形は行方不明になった。
 誰かの家にずっとあるのか。高尾山以外のところで回っているのか。


・昭和30年代までは高尾山周辺の山にもサンカがいた。
 差別的な理由で里に下りていくことのできない、漂流民族。
 手先が器用で日用品をつくるのが得意。
 その地域の特産品となる工芸品も作るとあって江戸時代は
 その存在はどこでも秘密にされた。
 しかし、山で迷い込んで彼らにもてなされることもある。
 当時は禁制品だった肉も彼らは食べていた。
 それが楽しかったからとまた同じ場所を訪れようとすると
 いなくなっている。ここから桃源郷の言い伝えが生まれた。


・見ざる聞かざる言わざるの三猿は南方熊楠によればかつて鬼であったという。
 それがいつどんなふうに去るとなったかは不明。
 月に一度、人の悪事を閻魔大王に報告する「三尸虫」を封じるために
 悪事を見ない、聞かない、言わないとする。


・樵は独特な暦を持っている。
 木を切るには新月がいい。水を吸い上げていないから。
 チェーンソーの時代になってもコンコンと叩いて挨拶してから切る。


・メダカは西日本と東日本とふたつの遺伝子をもっているが、
 東はほぼ絶滅、名古屋も危うい。
 下北の北限の猿も固体数が減ってきている。
 自然の猿は遺伝子的に絶滅の危機にある。
 猿山を使って育てるというのも考えられるが、
 何世代も減るうちに別物となってしまう。
 生物多様性の観点で言えば
 猿がいなくなると移動できなくなる植物がいる。
 猿だけの問題ではない。


・野生動物だからオーガニックなものを食べるとは限らない。
 インスタントラーメンやポテトチップがあるとそちらを食べる。
 普段の食事がオーガニックなものだから、味の強いものが好きなのだろう。
 野生動物がコンビニ弁当の味を覚えている。
 ハクビシンが冷蔵庫を開けてマヨネーズをあさるなんてよくあること。


多摩川は昔よりきれいになったが、実は抗生物質がすごいことになっている。
 アメリカの何十倍もの量。殺菌はされても抗生物質は生き残る。
 大量に処方され大量に摂取してその糞尿が浄水処理場でも処理しきれずにいる。
 

・高尾山のトンネルが開通して山はダメージを受けた。
 反対運動を続けてきたが、
 決まってしまうと運動そのものが目的の人たちはいなくなってしまった。
 今、山は耐えている。これからが本当に必要な運動がなされるべき。
 旧に復することは無理でも自然と共生を目指す環境を目指す。
 1mにつき7,000万円かかったという。将来的に維持費が払えなくなるだろう。