円周率を覚えるということ

昨日は円周率の日。
勉強以外とりえがなくて本ばかり読んでいた小学生か中学生の頃、
僕も円周率をどこまで暗記できるかがんばってみたものだ。
周りでは誰もそんなことしなかったので、興味なかったので、一人でぶつぶつと。
「3.14159265358979」
今思い出せたのはそこまで。昔はもっと、20桁ぐらいまでは覚えていたように思う。
というか今でもすっとここまで出てきたのが驚き。
若い頃の記憶力ってすごい。今覚えようとしてもまずは無理。
興味のないことを覚える、ということができない。


高校は進学校だったので僕より覚えている人は結構いたんじゃないかな。
でもその頃になると円周率の桁を競うなんてオタクっぽくて恥ずかしいだけであって。
πを知っていればそれでいいこと。
数式に「3.14」と具体的な数値を当てはめることはない。
しかも丸めすぎている。


結局のところその後の人生で
覚えていた「3.14159265358979」が役に立ったことなんて一度もなくて。
突然拉致されて何十人と暗い倉庫に目隠しして並べられて
「円周率を20桁まで言えた奴は帰してやる」とか。
「3.14」ですら使わない。形骸化した数字の羅列に過ぎない。
それはゆとり世代が円周率を「3」で覚えようと変わらない。


まだ年号を覚えておいた方がよかった。
いや、「いい国つくろう鎌倉幕府(1192)」が今では違うみたいだし。


暗記がいけない、と言いたいわけではない。
暗記したものってそれだけでは役には立たないということ。
その知識をどう使うかの方が大事。そこを学ばないといけない。
年号ならその背景や動向を押さえるとか。
覚えると使う、両方あってこそ教育なんじゃないかと。
input と output とも言える。
その間に自分というものがある。