ネズミというもの

床屋で切ってもらっていると、早いものでもう年末だ、という話になる。
この辺りは年末年始に店を閉めているところも多いから
その頃よくネズミを見かけることがあると。


都会のネズミは田舎のネズミと違って丸々と太って、ふてぶてしい。
マスターは夜、店を閉めてから車に出かけるとき、
近くの屋内駐車場でよく見かけるという。
赤い眼がランランと光っているのがササッと動いていて、ネズミだと気づく。


そういえば僕も丸の内線の線路の脇を
サ―ッと走り抜けるネズミの姿にたびたび気づいていた。
ものすごく大きい。胴体が長い。
真っ白でしなやかなビール瓶が尻尾をチラチラさせながら通り過ぎていく。
地下鉄の線路は雨や雪の心配もないし、ネズミたちにとっては天国だろう。
新幹線のホームにも多く潜んでいるのだという。


床屋の近くに地下に入る居酒屋があって、
しばらく前に2ヶ月ほど店を閉めていた。
その間、ネズミたちが一匹二匹と、群れを成すというほどでもないが、
店の前の道路を通り抜けていったという。
ネズミの群れにも縄張りがあって、このシマでは食えない、
ということになったのだろう。
どこに向かったのか。新天地で生きのびることはできたのか。


小さい頃、祖母の家に泊まりに行く。
大家族の旧家で大きな家だった。
寝ているとカリカリ、カリカリ、と壁の向こうから音がする。
何だろうと思って寝ていた母を起こすと、ネズミだという。


あるとき、ネズミ捕りにかかったと。
四角い鳥かごのような中に罠が仕掛けられている。
既にネズミはよじれるようにして死んでいた。
白くて小さくて、やせ細っていた。


あのときのイメージがあるから、
東京のネズミの大きさにはぞっとしたものを感じる。
生理学的なものではなく、社会学的な嫌悪感、


そんなネズミたちがあるとき、東京を一斉に離れるとか。
そんなことがあるとしたらそれはなんだろう。