理容師というもの

午後休んで荻窪の床屋へ。
意外と混んでいた。一時間ほど待った。
先週の土日は暇だったが、今日明日は忙しいという。
 
先月来た時に、ようやく結婚して荻窪から引っ越したことを話した。
そのことを覚えていてくれて、遠いところからすみませんと言われる。
「なかなかいい床屋が見つからなくて」と話すと、
「それも困った話で」と。
 
「奥入ったところに○○○ってあるでしょ。あれが来月いっぱい」
といったように周りの床屋が次々に廃業している。
高齢化して、若手のなり手も少なく、理容師人口が相当減っていると。
「教会通りに×××ってのがあったんだけどそこが店を閉めて、
 △△△ってのが居抜きで入ったんだけど、腕がさっぱりらしくて」
×××に通っていた客が、×××で働いていた人に紹介されてこの店に来ることが増えた。
△△△に一度行ってみたけど、全然ダメだったと。全般的に技術力も下がっている。
 
1,000円カットの店が増えて町の床屋が立ち行かなくなって、
その1,000円カットの店もまた理容師不足で立ち行かなくなるという負のスパイラル。
「そのうち理容師という職はなくなるのかもね。
 あるいは理容師と美容師の境目がなくなるとか」
 
郊外に大きなスーパーができて、
クリニックも床屋も美容室も入っていて小さな町のようになっているけど
そこに入っている床屋の腕がさっぱり、ということばかりという。
誰かいないかとなったときに腕の立つ人を呼んでくることはなく、
その町に住んでいた人の息子が理容師学校を出たからやらせてみるか、って感じで。
どこかで修業してくることもなく、あったとしても最近は1,000円カットの店。
世の中今そんなですよ、とマスターは言う。
 
そういうマスターも80近い。
思えば僕も20年近くここに通ってるんだなあ。
マスターが元気なうちは僕も荻窪に通うのだろう。