アーシュラ・K・ル=グィン

先々週、アーシュラ・K・ル=グィンの訃報を聞く。享年88歳。
日本のニュースでは『ゲド戦記』の作者、という扱いが多かった。
ジブリアニメの原作者というのもどこかで見たように思う。Yahoo! ニュースのトップだったか)
そうか、そうだよな、と思う。


『闇の左手』『所有せざる人々』『内海の漁師』…
僕にとってはファンタジーの人ではなく、SFの人なんだけど、
本人にはそういう区別はなかっただろう。


「SF界の女王」と呼ばれる。
音楽で言えばジョニ・ミッチェルに近いと思う。孤高の表現者
男性優位、理系優位だった SF界に
文化人類学言語学、神話・歴史学、そして女性的な詩的感受性をもたらした。
ル=グィンはフェミニズムSFの先駆者として捉えられたこともあったけど、
どちらかといえばこの地球という星には女性という種別と男性という種別があり、
他の星にはやはり同様の、あるいは別様の性差があるというそのことを言っていたように思う。
他者の問題。男性にとって女性は他者であるし、女性にとっても男性は他者である。
それは一人の人間にとって周りの人間は他者であるのと同じ。
分かり合うにはそこにコミュニケーションの方法が必要とされる。
それが主題のひとつだった。


たまたま先週、ハヤカワSF文庫の『SFの殿堂 遥かなる地平』上下2冊のうちの上巻を読み始めた。
ジョー・ホールドマン『終わりなき戦い』やオーソン・スコット・カードの「エンダー」シリーズなど、
人気作品、人気シリーズの続編や番外編ばかりを集めたアンソロジー
その冒頭がアーシュラ・K・ル=グィンの「ハイニッシュ・ユニバース」のシリーズだった。
「古い音楽と女奴隷たち」
以前別の短編集『世界の誕生日』の中で読んだことがあった。
いつもなら、他の作者なら読み飛ばすけど、
ル=グィンはアイデアではなくその文体を味わうものであるから読み返してみた。
ここまで奥行きのある重層的な世界観を構築できる作者はなかなかいない。
フォークナーやドストエフスキーを思う。


IT業界だとオープンソース系で「アンシブル」って聞くことがありますが、
元ネタはル=グィンが作品中に用いた超光速通信技術のこと。
あまりにも離れた星系間でも通信が行えるが、ローコストで瞬時に誰でもというものではなく、
離れすぎるとそれなりに時間がかかり、
大使館のような特権的地位でないとやりとりできない手紙や通信文のようなものだった印象がある。
そういう制約に妙なリアリティがあった。
その「アンシブル」は他のSF作家も流用して、有名なのはオーソン・スコット・カードに寄るもの。
この『遥かなる地平』での「エンダー」シリーズの番外編にも登場していた。


個人的にル=グィンは『所有せざる人々』かな。
ひとつの辺境の星を描いているんだけど、冒険の舞台、書割のようなものではなく、
文化的・社会学的考察対象として構築されている。
それだけでも相当、読み応えがあった。
これこそ、大人のSFですね。