今週の行き帰り、一ノ瀬泰造『地雷を踏んだらサヨウナラ』を読んでいた。
昨年、日本橋の高島屋に沢田教一の写真店を見に行った時に
沢田教一の写真集と合わせて買った。
1972年、24歳の時に単身、ベトナム経由でカンボジアへ。
もちろんこの頃はどちらの国も戦争状態にあった。
何の実績もないのにフリーの戦場カメラマンとして戦地に潜り込む。
撮った写真のうち、できのいいものは1枚いくらで UPI に売る、というか買い取られる。
すぐにも頭角を現し、UPI や共同など国内の通信社の専属となる話が浮かんでは消えるが、
そのたびごとに迷った末にやめておく。
安定した身分、収入の保証はもちろん欲しいけど、その分拘束されることになる。
行きたいときに行きたい場所に行けなくなる。
アンコールワットを撮りたい。
当時、政府軍と解放軍のせめぎ合う最前線にあって撮影に成功したカメラマンはいなかった。
撮れば世界的なスクープであって、キャパ賞の受賞は間違いない。
しかし彼は賞は二の次で、誰も行ったことのない場所に誰よりも先に行きたかったのだろう。
(もちろんそこには両軍の兵士と、それまでそこに住んでいた村人たちの生き残りがいるわけだが)
一ノ瀬泰造は意外とあっさりアンコールワットまで到達し、
撮影に成功するがその帰りに捕まってフィルムを没収される。
国外追放となってベトナムに戻るが、
ボクシングのトレーナーで招聘されたという名目でカンボジアに再入国。
戦火の中、プノンペン、アンコールワットのあるシアムリアップへと近づく。
最初のシアリムアップ滞在で友だちになった若い教師に再会し、結婚式に出席するが…
その日々が日記、母や友人、恩師への手紙、写真、記事原稿で構成される。
たった一年の出来事。
二度目のアンコールワット目前にしてその手記はふっと途切れ、
同じ時期に過ごした写真家による解説と
父母が10年後に現地を訪れ墓を確認したことの短い報告で終わりを告げる。
この日記や手紙が読ませる。
決してうまい文章ではない。ごく普通の人のごく普通の文章。
だけど、70年代のあんちゃんならではの屈託なく人懐っこい語り口があって、
僕ら後代の読者はその最期を知っているだけあって、切ない。
(ところどころ挟まる、お母さんからの返信もまた泣かせる)
子どもたちと兵隊ごっこをして遊んだり空手や柔道を教えたりという記述がよく出てくる。
行く先々で人に好かれてご馳走になり、仲良くなる。
飾らない、裏表のない、正直な人だったのだろう。
見知らぬ人の中にあっても物おじせず、銃弾のさなかにあっても怯えない。
あっけらかんとして「地雷を踏んだらサヨウナラです」と書き残す。
一瞬に咲いた青春の花。
生きのびて報道写真家の巨匠になるとは到底思えず。
ロックで言えばジャニス・ジョプリンやブライアン・ジョーンズのような若くして死ぬ天才のような。
こういう生き方は21世紀の今、無理だろう。
沢田教一しかり、70年代前半、
特にベトナム戦争やカンボジア内戦を撮った写真家の手記はどうしてこうも魅力的なのか。
ベトナム戦争はその後の戦争とは違って報道カメラマンに対してオープンだったから
世界各地から腕に覚えのある者、一獲千金を夢見る者、有象無象が集まっていたと聞いたことがある。
船やジープで移動し、フィルムを現像して手書きの原稿を新聞社の支局まで命がけで持ち帰る。
ネット時代の今、戦争そのものも戦争を撮ることも大きく変わってしまった。
戦争もまたデジタル化した。
それはいいとも悪いとも言えない。
ロマンがなくなった、と安易に言うわけにはいかないだろう。
彼が撮った兵士たちの写真もリアルなのだが、
何枚か扉に置かれた彼自身の写真がグッとくる。
自分の人生を生きている、とてもいい表情をしている。