沢田教一と荒木経惟

予定のなかった日曜の午後、写真店をふたつ見に行った。
日本橋高島屋で「写真家 沢田教一展 −その視線の先に」
http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/sawada.html
初台の東京オペラシティアートギャラリーで「写狂老人A 荒木経惟
http://www.operacity.jp/ag/exh199/
妻の運転する車で回った。


沢田教一の方は年代別に整理されたオーソドックスな回顧展。
三沢の米軍基地で出会った妻サタと共に青森を撮影した若き日々。
居ても立っても居られなくなってベトナムに渡り、戦場の最前線を駆け巡って世界のサワダとなる。
「安全への逃避」でピューリッツァー賞を獲得、ベトナムを離れて平穏な日々を望むも
ベトナム以上に混沌としたカンボジアの地へと呼び寄せられ、若くして亡くなった…
僕もこれまで何度か沢田教一の写真を見てきたけど、青森の写真は初めてかもしれない。
貧しい漁村の風景。赤子を背負う幼子の写真は後にベトナムでの同じテーマの写真に重なっていく。
1950年代半ばにカラーでねぶたを撮影したのは記録としても珍しいという。


荒木経惟はいくつかのセクションに分かれていた。
空の写真を壁いっぱいに集めたもの。
花の写真を壁いっぱいに集めたもの。
「週間大衆」の人妻ヌードの連載。
2017年7月7日に撮影した膨大な量の写真日記
「八百屋のおじさん」という名の1960年代半ばのスクラップ。
切り裂いて他の写真と組み合わせていく、同じく壁いっぱいのコラージュ。など。


戦後日本を代表する二人の写真家ですが、ここまで対照的な二人はないわけで。
片やエロスを追求し、あらゆるものに潜むエロスを明るみに出す、
日常のあらゆるものがエロスであるとする。
その匂いや湿り気が立ち上ってくる。
片や「泥まみれの死」「敵を連れて」のようにすぐ目の前に迫っている死を、
迎えたならば死体という物でしかなくなる死というものを前にして、
エロスといった「意味づけ」をしている余裕はない。一瞬の事実、その光と影だけがある。


その一方で共通点にも気づく。
青森の子どもたちや「八百屋のおじさん」がそうであったように
昔の日本人はいい笑顔をしていた。生活の喜怒哀楽が素直に出ていた。
いつのまに失われてしまったのだろう。
感情を表すことで社会的な不都合を引き起こす可能性を必要以上に恐れるようになった。
これらの表情は写真家の側の切り取るセンスに寄るところも大きい。
二人とも結局は戦争の奥の、エロスの奥の「人間」を撮っていたのだ。
「人間」を愛しいものと感じながらひとつひとつのシャッターを切っていったのだ。
そこから生まれる片や悲しみと片や哀しみを描いていた。


とはいえ
アラーキーに戦場のヌードを撮ることはできないし、
沢田教一に煽情的なヌードを撮ることもできない。
決して交わることのない二人の写真を同じ日に見ることのできる21世紀の日々、
21世紀の東京というものを思う。