雨は止まず。弱くなったり強くなったり。
長袖のシャツで両手を覆ったり、少し熱くなってきて袖をまくったりを繰り返す。
辛いのは足元。ランナーをよけようとすると水たまりを踏んだり。
走ってる間はずっとグジュグジュと濡れていた。
これは上半身が濡れているよりも消耗した…
泉岳寺の手前で待っているはずが見当たらず。そのまま走り続ける。
36km で折り返し。思ってたよりも疲れていない。
周りはもう既に半分ぐらい歩いている。
それがまだ力強く走れる。結局それで最後まで行けた。
37km近く、泉岳寺の駅の近くに2人が待っていた。
最後のアミノバイタルゴールドをもらって飲む。
終わった後で2人に聞くと、僕が思いのほか早く、移動ばかりで全然休む暇なかった、
当初の予定では 35km 過ぎで待つつもりが
このままでは間に合わないからと急遽反対側に回って待つことにしたと。
とあと3駅、あと2駅、あと1駅とカウントダウンしながら走る。
歓声もひときわ大きくなって、最後丸の内仲通りに入る。
石畳の上を走る。歓声がもっと大きくなる。
オリンピックのランナーのようですよ、と聞いていたけどまさにそう。
でも丸ビルがあって新丸ビルがあってとブロックをいくつ過ぎても終わりが見えない。
ここでふっともう歩いてもいいか…、と思うがすぐ振り切ってそのまま走り続けた。
行幸通りに入ってゴール。
ゴールよりもその後ろの走り終えたランナーへの誘導の表示の方が大きくて、
あ、これがゴールかと拍子抜け。
後で妻に応援ナビを見せてもらうと、
グロス(9:10スタートからの記録)だと「5:17:03」
ネット(スタート地点からの記録)だと「4:55:09」
ネットだと目標だった5時間を超えることができた。
頑張った甲斐があった…
全体としては18397位とのこと。
38000人を募集していたというので半分よりほんのちょい上に行ったか。
誘導に従ってしばらく歩いて行く。
ランナーチップの回収はしないんですね。
ランナーにとってもボランティアにとっても余計な負担ということなのか。
皇居の方まで行って引き返して、日比谷の方に曲がる。
白く燃え尽きてトボトボと歩くうちに
タオルをかけてもらったり、メダルをかけてもらったり、
山崎のランチパックやポカリスエット、バナナの入った袋をもらったりと。
大会のロゴをあしらったアルミシートをかけたもらい、手荷物を受け取る。
その先に更衣室のテント。
ファスナーを開けて入るがどこもいっぱい。
床にすのこのようなものを敷いているが雨で泥だらけ。
アルミシートを敷いてそのうえで着替える。
皆無言。殺伐としていて隣り合った同士で健闘を讃え合うでもない。
話している人がいるかと思えば、スマホ。
外からはゴミは持ち帰ってください、ゴミ箱はありませんとボランティアスタッフが繰り返す。
終わった…
妻たちは日比谷公園の中にある店に入っているという。
横断歩道を渡って目の前。
さすがの寒さにビールを飲む気になれず、まずは焼酎お湯割り。
がっつりしたものが食べたくなって
フィッシュ&チップスやポテトをかけたジャーマンポテトなどを。
一息ついてようやくビール。
差し入れで友人が握ってきてくれたおにぎりをこっそり食べた。
向かいのテーブルにいた10人ぐらいの団体もランナーと応援の方たちのようだった。
店に入る頃はなんともなかったのが、トイレに立ち上がろうとしたら足が急にガタついていた。
ガシガシと棒のようになって動かない。
店を出ると公園を吹き抜ける風の冷たさに震えが止まらなくなった。
体の芯から冷えて悪寒がやまない。やばい、と身の危険を感じた。
日比谷駅から一駅内幸町まで乗って、地上に出て歩く。先ほどよりはましになった。
汐留から大江戸線に乗って帰る。
妻は早々に爆睡。僕は疲れきって眠れず。
光が丘から歩いて帰る。
家に着いてもしばらく寒気はやまず。時々ゾクッと全身を抜けていく。
洗濯したり片付けたりしてお風呂を沸かして入る。
温まったつもりが、それでも悪寒が時折訪れる。
これはいかんと早く寝ることにした。
「いだてん」を見ながら妻に全身をマッサージしてもらう。
温まるかと焼酎お湯割りを飲むが身体が受け付けず。
白湯を飲んで21時には布団に入った。
布団の中でしばらく震えた。
明日休みにしておいてよかった…
いや、でも東京マラソンよかったですよ。
以前走ったことのある妻の友人もこれなら1万は高くないと。
僕もそう思った。走りやすい。
あれこれ、んんー?って思う瞬間もなくはなかったけどボランティアスタッフもがんばっている。
この規模の大会にしてはきちんと統率・運営されている方じゃないかと思う。
何よりも熊本城マラソンのアップダウンの連続に比べたらほんと楽。
来年も機会があったら走りたいが、…しばらく抽選に当たらないかな。