新しい色

この世にはまだ誰も見たことのない色彩があるんじゃないかということを思う。
いや、科学的にそれは存在しないだろう。
光のスペクトルと言うんだったか、
虹の七色、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫が全て。
後はその組み合わせと細分化にすぎない。
 
そういう物理的な色ではなく、
受容する側の感覚として全く新しい色に感じられる、そんな体験はまだ残っているのか。
同じ青でも鮮やかさが違う、というような。
その時々のやるせない気持ちによっては色褪せて、
高揚感によるハレーションで、
青が青ではなく、赤が赤ではなくなるということもあるだろう。
 
そもそもの話として、僕が見ている、感じている青は
ほかの人の見ている、感じている青と全く違うのかもしれない。
そんなことを時々思う。
そんな、ある種の孤独。
 
単色の平面ではなく、色彩の
並べ方としてはまだまだ無限の可能性があるのだろう。
ある意味、画家やウェブデザイナーという職業が行っているのはそういうことだと思う。
小説家という職業が言葉の組み合わせの可能性を追い求めているのと同じように。
 
それは簡単なことのようでいて、かなり難しい。
ランダムにすればいいというものでもない。
勢いというか意志というか、そこに意味、思いを込めるものが力強く存在しないといけない。
その流れが感じられないといけない。
 
つまらない人間からはつまらない組み合わせしか生まれないのか。
努力によってそれは生まれるのか、天才のみがなしえるのか。
偶然、新しいヴィジョンが見えるということはあるのか。
決まり切った言葉を並べて、いつもたいして変わらないことばかりを書いてしまう。
そんな言葉ばかりでこの世界は成り立っている。
それは人類が呪われているからなのか、それともただ単に怠惰なだけなのか。
もちろん、理由を見出したらそれで終わりということではない。
 
新しい色彩を、新しい言葉を、その組み合わせを。
追い求めることを諦めたとき、その人は何らかの死を迎えるのだろう。