「どんなときも。」

ときどき無性に槇原敬之が聞きたくなる。
CMや旅番組で「遠く遠く」のカバーが使われているのを聞いたとき、
この人は普遍的にいい曲を書くな、と思う。
初期のベストを中古で安く買って、iPhone に入れた。
 
「どんなときも。」を聞くと切ない気持ちになる。
いろんなことを思い出す。
1991年、高校2年生のときのヒット曲だった。
 
高校時代の多くの時間を演劇部の部室で過ごした。
ヤンキーでもないはみ出し者の集まりだった。
中心人物の女の子が全国大会に出ようという目的を掲げたとき、
僕らは何かに導かれるようにして一人一人また仲間に加わっていった。
 
全国大会に出るには東北地方予選で勝つ必要があり、
東北地方大予選に出るには青森県の予選で勝たなかればならなかった。
枠はふたつ。
全国大会常連の八戸北高校は今回も余裕で勝ち上がるだろう。
実際、完成度が別格過ぎた。
もう一校の常連校は弘前の女子高、聖愛。
ここならなんとかなるんじゃないか。
「打倒聖愛」を抱えて夜な夜な後者の片隅で練習を続けた。
青森市の大会で絶賛され、県大会へ。
聖愛の舞台が終わり、自分たちも力を出し切った。
これは勝った、と皆が確信した。
 
そこに思わぬダークホースが現れた。
確か八戸の定時制の工業高校だった。
出演するのは男子生徒3人だけ。
ジャングルジムが置かれ、夕暮れという設定だった。
その3人が日々の暮らしに嫌気がさすが、明日への希望を取り戻す。
そんな内容だったと思う。たいしたことはない。
なのに、キラキラと輝いていた。何もかもが輝いていた。
奇跡とはこういうものなのか。
実際、その後上京してあちこちでいろんな劇団を見たけど、
この時目にしたもの以上に感動した舞台はない。
 
部員たちだけでつくったものではなく、
演劇のできる先生がその年からついたのかもしれない。
(僕らは脚本も演出もその中心人物の女の子が担っていた)
だとしたら、その先生と生徒たちの結びつきそのものが奇跡だった。
 
その要所要所で「どんなときも。」が流れた。
ただ単にその時のヒット曲だから選ばれただけだろう。
だけど役者の演技とストーリーにぴったりとはまっていた。
ありもののの曲をここまで合わせられるのか、という点でも
僕にとってその後この時の体験以上のものはなかった。
そのサビにあるように、
どんなときであれ僕らは僕ららしく生きることが大切なのだと
力強いメッセージを語っていた。
 
負けた、と思った。
予想通り、八戸北高校とその定時制の工業高校とが予選を勝ち抜いた。
悔しくてホールの廊下で皆、押し黙り、何人かが泣いた。
 
その後この2校がどうなったか記憶にないし、
今はどの高校が強いのかという勢力地図はがらったと変わってしまっているはず。
畑澤先生が指導して全国大会の常連となった弘前中央や青森中央であるとか。
 
このときの思い出と一緒になっているので、
「どんなときも。」は僕の中で永遠にキラキラしている。
一生に一度出会うかどうかの曲。