永代橋のビル

今週は文庫になったばかりの、清武英利しんがり 山一證券最後の12人』を読んでいる。
山一證券の本社ビルから見る永代橋隅田川の眺めについて記された一節があった。
1997年の経営破綻で山一證券がそのビルを手放し、
一般のオフィスビルとなった後に僕らの会社がいくつかのフロアを借りた。
僕が入社2年目だったので2000年のことか。
山一證券のニュースは聞いていたけど僕が就職活動をしていた1998年には
既に過去の話になっていたし、取り立てて株の取引に興味があったわけではない。
当時仕事していても「あ、そうだったんですか」ぐらいの話で特に意識することはなかった。
前に入っていた会社の痕跡は何ひとつ残されていなかった。
 
でも今、社会人として20年働いたのちに
あのフロアが巨額損失隠蔽の現場だったのかもな、密談が交わされていたのかもな、
なんて思うとなんだか感慨深い。
それは単なる偶発的な犯罪ではなくて、
企業という大きな、内に向いた組織の中でどっぷりと日々を過ごすうちに生まれてくる
逃れようのないしがらみが全てを狂わせていったわけであって。
外の世界が見えなくなったとき、そんな自分を正当化するうちに、突如雪崩のように全てが崩壊する。
時と場合によっては誰でも巻き込まれる可能性のあるものだよなあと。
 
自分が働いていた会社が突然倒産してしまう。
多くの社員にとって、特に全国各地の支店で働く者にとって
それは全くもって予期していないことだった。
茅場町の本社で働いていた中にはあの日、呆然として窓の外を眺めていた人もいるだろう。
永代橋まで出て、隅田川に沿って伸びる遊歩道をあてもなく歩いた人もいるだろう。
陽の光を浴びて川面が輝いている。
水上バスが行き交い、観光客がのんびりと過ごしている。
ベンチにお年寄りが座り、若者がジョギングしている。
多くの人にとってはその日は、ごく普通の日だった。
そしてまたビルに戻って、現実と向かい合った。
あのフロアは、そんな空間だったのだ。
 
僕は仕事で行き詰まったとき、抜け出しては川沿いを歩いた。
何十分も、あるいは何時間も。
今思うとなんてことない仕事だった。
死ぬとか生きるとかそういうことは問われなかった。
明日どうしようとか、家族をどうしようとか、そういうことはなかった。
そして、かつて山一證券の入っていたビルにいつも戻っていった。
あのフロアで働いていた人たちはその後どうだったのだろう。
そこにはいろんな可能性があったのだということを思う。