豪雪の記憶

今年は雪が全然降らず、あちこちのスキー場で苦労しているという。
どうやって雪を確保するか。落ち込んだ利用者数をどう回復するか。
年末に青森に帰ったとき、駅のホームから八甲田山が見える。
何気なく雲谷のスキー場を探すがすぐにはわからず戸惑った覚えがある。
いつもならゲレンデとなる北向きの斜面が白い三角形となっている。
 
温暖化で年々積雪量が減っている。
雪のない元日を迎える年もこの10年、チラホラとあった。
逆に、子供の頃の80年代はとんでもなく降っていた。
北陸の豪雪地帯のように二階から出入りするということはさすがにないが
朝昼晩と振り続けて1日に3回も4回も雪かきをするというような。
その都度踝から太腿ぐらいまでは新しい雪で覆われている。
 
子供の頃、年末年始は必ず津軽半島の先端に近い、
今別にある母の実家で親戚たちと一緒になって過ごしていた。
29日か30日に訪れて、3日か4日になると帰ってくる。
豪雪だったある年は戻ってきてみると一週間分の雪で家に入れなくなっていた。
人の背丈ほどあっただろうか。
その当時住んでいた家は道路から少し奥まったところにあって
家屋まで細い道が続いていた。
それが全部分厚い白い壁になる。
 
どうやって雪かき用のスコップを手にしたのか。
雪の上を這っていったのか。
いや、物置も玄関も開けられる状態にないから近所から借りたのだろう。
まずは最低限人が歩けるだけの細い道をつくって家の中に入れるようにして
その後全体的に片付ける。
家の裏に生活排水を流す割と大きな水路があって、
普段はそこにスノーダンプで持っていくんだけどそれが無理なので
近所の少し離れた空き地に運ばざるをえなかった。
さらに時間がかかった。
 
その日のうちには片付かなかったんじゃないか。
もちろん僕も手伝うことになる。
見たいテレビも見られず、日がな一日雪かき。
それまでは二階から出入りというのに憧れていたけど、
現実というものがわかってさすがにそういう気持ちもなくなった。
 
そんな事態に陥ったのはその時だけで、
一週間家を離れる前にきちんと雪かきをしておくと
晴れた日に少し雪が解けたりするのでここまで大変なことにはならなかった。
あの年は八甲田山の麓の酸ヶ湯温泉辺りだと5mや6mぐらい積もったんじゃないか。
豪雪というとあの日のことを思い出す。