非定住生活への憧れ

人は今の自分にできないことに憧れる。
身の周りの持ち物を極限まで減らして、
あ、この町住んでみたいなと思ったら賃貸物件を探して、
ちょうどいいのがあったら2年ぐらい住んでみる。
季節を2回巡ったぐらいで次の町へ。
そういうのに今、憧れる。
 
例えば昨晩、酒場放浪記を見ていたら東武スカイツリーラインで北千住から一駅、
京成線の駅にも近い、便利な町と紹介されてどんなところだろうと。
東京23区の北東部はよくわかってないし。
初めて下りて商店街を歩くときもそうだ。
江古田の駅は昔ながらの商店街に
新しい店がほどよく溶け込んで住みやすそうだった。
 
その際たるものはテレビでよく取り上げられる
新橋のキューブ型の部屋が積み重なって近未来的な「中銀カプセルタワービル」
黒川紀章が設計した、メタボリズム建築の傑作。
部屋によっては新進気鋭の建築家がリフォームしているという。
基本1R。賃料は6~7万。
ここに夫婦一部屋ずつ借りることができたら面白そう、とは思うが、
いや、都心の仕事場として借りてみたい。
 
実際には本もCDも増える一方で床に積み上げたまま片付けられず。
とてもじゃないけど気ままに引っ越しなんてできるわけがなく。
ここが終の棲家となるか……
 
本もCDも断捨離して、服も夏冬5着ぐらいに減らして、
家具も必要最小限で。
物置にしまいっぱなしのいつか使うかもと買ったBBQセットや
いつか役に立つかもと買い替え前のプリンターなど、すっきり処分。
引っ越しをせずともそういう暮らしに憧れるのであるが。
サハラ砂漠に旅行した時の大きな karrimor のリュックサックなんかも。
結局その後眠ってて場所をとる思い出の品、みたいな。
そういうのばっかりなんだよなあ。
 
キャンピングカーが流行っているようでたまに見かける。あれが究極か。
イギリスやイタリアなんかでは川に浮かべた船で生活している人もいますね。
先日読んだヴァージングループ総帥リチャード・ブランソンの伝記においても
彼は若い頃の一時期、豪華なクルーザーに住んでたみたいで。
今もアジアのいくつかの地域で浮島の上に家を建てて住んでいる人たちがいる。
一か所に定住するというのは人という動物にとって正しいことなのかどうか、
時々そんなことを思う。