屋上のある家、屋上にある家

妻と散歩しているとき、どちらともなく「あ、あそこの家、屋上あるね」と指さすことがある。
「洗濯物干してるね」とか「植物ですごいことなってるね」とか。
 
今も昔も屋上に憧れる。バルコニーではなく、屋上。
条例とか法律で細かく決められていて、今の家を改築して屋上をつくることはできないようだ。
地下室をつくることもできない。
(できたとしても相当なお金がかかりそうだが……)
 
屋上があったところで(これまた東京都の条例で)バーベキューができるわけでもなく
缶チューハイ片手に柵に持たれるか、丸椅子を持ち出して座るだけ。
周りの住宅街や空を眺める。
それでも屋上っていいなと思う。
 
以前世田谷に借りた家の決め手は二子玉川が徒歩圏内というのもあったけど、
屋上があるというのも魅力だった。
だけど残念ながら住んでいた1年半の間に上がったことは10回もないんじゃないか。
狭い階段を文字通り這い上がって、重たい金属の蓋を押し上げないといけない。
(歩いて登ってドアを開ける、ではない)
本当ならば多摩川の花火大会が見えるはずだった。
しかし1年目は予定ありで見られず、2年目には引っ越してしまった。
 
布団干しを置くか、小さなビニールハウスを置いて温室のようにするか。
散歩していて観察する限り、屋上を有効利用している家というのはあんまりない。
屋上で楽しく過ごしている人を見かけることもない。
危険だからか、子供たちが遊んでいるということもない。
ただただぽっかりと開いた無為な空間が広がっているだけ。
実際手にしてみると僕らのように持て余してしまうのかもしれない。
 
ごく稀に、都心の小さな雑居ビルの屋上に
「あれって人が住んでんじゃないか」と思われる掘っ立て小屋が置かれていることがある。
昔の建築基準法の頃に建てられて規制対象外なのか、そこに年老いた居候が住みついているのだろう。
どういう部屋なのか、どういう人生なのか、気になる。
永続的なブルーシートハウスのようなものか。
もしかしたらそういう物件を貸している、というケースもあるのかもしれない。
表立っては難しいだろうけど。
 
昔の学生寮なんかだと寮費を滞納して部屋から追い出されて、だけど住むところもなく
屋上に寝袋を持ち込んで住み着くなんて人もいたんじゃないか。
昼間はどこかの部屋で麻雀をやって、昼頃起きだして寮の食堂で食べて勝手に寮の風呂に入って
雨が降ったら屋上手前の踊り場に寝袋を移して、という。
7年、8年かけても単位がほとんど取れてなくてヒゲぼうぼうで仙人のように思われているとか。
それがやがて掘っ立て小屋になり、そうなると大学側か撤去を求められるとか。
先輩は一人ハンガーストライキで対抗する……