妻が気になると言って図書館から借りてきたキャサリン・ダン『異形の愛』
人気のサーカスをつくるために妊娠しては毒物を服用して
我が子をフリークス(奇形児)として生み育てる。
そんな家族のその後の話。
思ってたよりもグロテスクではないが、
読んではいけないものを読んでる気持になって、なかなか進まない。
数年前は近藤ようこ『五色の舟』を読んでいる。
デヴィッド・リンチ監督の『エレファントマン』は実在したという話を思い出す。
 
遺伝子の異常であったり、危険な薬物の接種であったりと
奇形児とされる人たちが日々生まれているが、
恐らく、人目につかないように隠されている。
その多くは健康上の理由で日常生活を営むのが難しく
サナトリウムのような施設で過ごしているのかもしれない。
車椅子に乗って活動的に生きている人、というのは少ないのではないか。
 
パラリンピックが一般的ものとなって先天的に、後天的に
四肢にハンディキャップを抱えた人たちをテレビの向こうで見かけることが増えたが、
彼ら彼女たちはあくまでアスリートとして扱われる。
アスリートではない人たちを見かけることはなかなか少ない。
いや、無意識のうちに視界から消してしまっているのか。
 
指が6本あったり、尻尾があって生まれた子供は早いうちに外科手術で取り除く、
という話をたまに聞く。都市伝説なのだろうか。
 
昔はよく、掌に五本の指がなく蹄のようになって生まれた子供がいたという。
中上健次の『枯木灘』だったか、叔父がそのような手であったと。
父母が動物を虐待したことへの呪いや祟りとされた。
僕も一度だけ見かけたことがある。
荻窪に住んでいた時、朝、駅に向かう途中で。
右手に太くて長い指が2本あるだけで、
その2本の指で缶コーヒーを抱え込むようにして持っていた。
工事現場で働いているのだろう、作業服を着て同僚と話しながら歩いていた。
年齢は50代ぐらいか。
気味悪がられ、嫌われ遠ざけられ、まともな職業にはつけなかったかもしれない。
小さい頃には虐められただろう。
 
同じくよく言われることであるが、
身体的な奇形は外見から判断することができても、精神的な奇形は見た目ではわからないと。
そういう人たちの起こす異常な事件の数々を
ニュースとして見聞きしながら僕らは日々生きている。
 
アメコミを原作とする映画ではミュータントとして扱われ、超能力を持っている。
彼らはふとしたことをきっかけにヒーローとなっていく。
正義の側についたものと悪の側についたものとが闘うことになる。
日本人にはそういう発想がないな、ということを最後思う。