日曜の夜、見たいテレビもなく本を読んでいたら
妻が下から本を持ってきてこれを聞きたいという。
正月に青森に帰ったときに成田本店の郷土本のコーナーで買った
『走っけろメロス』(鎌田紳爾津軽弁翻訳・朗読/未知谷)
付属のCDを取り出して聞いてみた。冒頭の部分を抜き出してみると
「メロスは激怒した。
必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
メロスには政治はわからぬ」
「メロスぁうっておごった。
必ず、あの邪知暴虐の王ごと除がねばまねって決意した。
メロスだきゃせんじはわがね」
妻はちんぷんかんぷんだった。
僕には明瞭で聞き取りやすい津軽弁だった。難易度中級といったところか。
もっとぐしゃっと一塊になっていて言葉の切れ目がわからない。
津軽弁は友だちが「けやぐ」になったりと基本的な単語は全然違うし、助詞の使い方も違う。
だけど熟語は案外そのままなんですよね。「邪知暴虐」とか「決意」とか。
そこが手掛かりになるだろうか。
「走れメロス」を読み返したのはいつ以来だろう。
大学生のときや会社員になってしばらくしたころ、無性に太宰が読みたくなる時期があった。
でも手元に文庫がないのでもしかしたら中学校の国語の教科書で読んだのが最後だったのかもしれない。
誰のエッセイだったか、最近たまたま読んだ中に
メロスは夕暮れまでにたどり着けなかったという結末だったと誤解して覚えていたというものがあった。
僕も細部は結構忘れていた。川が溢れ、盗賊に追われってそういうとこあったっけ? と。
もしかしたら何十年ぶりかにその物語に触れて、ほんとよくできてるなあと感心させられた。
主要人物それぞれの思惑があって心変わりがあって。それがストーリーと絡み合う。
簡潔にしてしなやかで、力強い言葉で。
しかもそれが津軽弁だったのでなおのこと、僕のような故郷から遠く離れた者には考えさせるものがあった。
メロスもまた一人の、普通の人間だったんだなと。
英雄でもなんでもない。ひたむきにただなすべきことをなした男。その孤独。
青森の劇団だと太宰を原作に津軽弁で上演するというところもあるのだろうか。
どんなふうに太宰を、津軽を描くのだろう、それはどう聞こえるのだろう、ということが気になった。