年末年始に青森帰ったとき、東京に戻る前に新町の「成田本店」に立ち寄った。
このときは僕も妻も太宰治にアンテナが引っかかって、
二種類のCD付きの本を買った。
元々出版されたのは太宰の1948年の死から割と経過した、1964年。
昨年ペーパーバックで再発された。
共にまだ無名の東大の学生時代に出会った。
ありとあらゆるツテから金を借りまくって妹の服であろうと質に入れて
酒を飲んでひどく酔っぱらっては女を買いに行くという無頼な毎日。
もちろん大学は全く通ってなくて卒業できる見込みはゼロ。働き口もない。
その後二人とも最初の小説を出版できることができたが
太宰は芥川賞に落ちて、最初の心中を行う。
30代になろうとし、時代はやがて太平洋戦争へと至るというその頃のこと。
濃密で赤裸々なエピソードばかりが続くが、
その太宰評が新鮮だった。
教科書とか文学史で出会う太宰像はやはり美化されているというか、
無機的でツルンとしてますね。
今、思い出せるものを書き記しておく。
・太宰は身の回りで出会うものから次から次に妄想を広げ、
振り払おうとし、妄想に囚われていた。
その一方で虚栄心や功名心にも囚われていた。
・自殺は自らの芸術を完成させるために行ったもの。
それでいて家族が困らないように自らの文名が高まった時期を選ぶ
というように世間の目をきちんと意識している。
・女性に惚れるということは一切なかった。
女性はあくまで妄想を広げるための存在。
・働く気は全くないのに手元の金は酒に女にすぐ使ってしまう。
友人知人、青森の兄、とにかく金を無心し続けた。
・蔵書というものはほとんどなかった。
安い古本を買って気に入ったものばかり読んでいた。
旅行も好まない。馴れたところにしか行きたがらない。
・その文体は落語の影響を受けている。
寄席に通うことはなく、もっぱらは文字にしたものを読んでいた。
はっきり文学的境遇が語れる最後の作家かもしれない。
・受難者としてのイエス・キリストへの憧れがあった。
その身を重ね合わせるところがあった。
・食へのこだわりはないが、なんにでも味の素をかけて食べた。
ビールと生卵を飲んでばかりだった。
こんなごくつぶし身の回りにいたら困るというか、
その強烈な個性を持て余してしまうだろう。
そんなふうに思う僕は小説家になることはできないのだろう……