『日本縦断 こころ旅』に手紙を出す

昨日に引き続き。
僕が『日本縦断 こころ旅』に手紙を出すとしたら。
 
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正平さん、チャリ男君、スタッフの皆さん、こんにちは。
 
4月からの在宅勤務で、
帰省すると母がテレビで見ていた「こころ旅」を私も見るようになりました。
 
私の「こころの風景」は青森県東津軽郡今別町にある
津軽線大川平駅のホームとなります。
 
山奥の何にもないところです。
かつては店も数えるほど、週に2回の移動販売のトラックが訪れて生鮮食品を買うという田舎でした。
 
そこに母の実家がありました。
母は7人兄弟で、お盆や正月となると青森県内外から叔父や叔母、いとこが集まりました。
夏だと子どもたちは一日中鳴いている蝉を捕まえては網戸にくっつけて遊び、
大人たちは高校野球を見ながらビールを飲んでいました。
昼になると湧き水で冷やしたトマトやスイカにかぶりつき、夜は家の前の道路で花火をしました。
 
小さい頃はその大川平に行くのが何よりの楽しみでした。
母子家庭で家に車はなく、いつも青森市の外れにあった家から津軽線に乗りました。
今は途中の蟹田が終点となってさらに奥へと向かう路線に乗り換えますが、
昔は一本で行くことができました。
蟹田までは海沿いを進み、蟹田からは内陸に入って山深い中を走ることになります。
いくつかトンネルと駅を過ぎると大川平に着きました。
 
一週間近く滞在して、いつか帰る日が来ます。
まだ家に残るいとこたちが見送りに駅までついてきてくれました。
家から駅まで歩いて10分ほど。たまらなく寂しい思いをしたものでした。
 
大川平は無人駅で、駅舎も雨や雪を避ける小さな一部屋があるだけです。
津軽線がホームに入ってくるまでのわずかな間を、周りの風景を見て過ごします。
線路の向こうに田畑が広がっていて、四方を山に囲まれています。
夏は一面の緑ですが、冬にはその全てが雪で覆われ真っ白です。
これが自分にとっての原風景なのだなと気付いたのは大人になって上京してからでした。
 
あれから30年が過ぎて母のいる青森市に帰ることはあっても、
大川平まで行くことはほとんどなくなりました。
向かうとしても車であって、津軽線に乗ることはなくなりました。
あの駅舎は今どうなっているのか、ホームから見える風景に変わりはないのか。
正平さん、ムシのいいお願いとなってしまいますが確かめていただけないでしょうか。
きっと懐かしい日本の風景が広がっているはずです。
 
山奥の自転車で行くにはかなり大変な場所ですが、よろしくお願いします。