青森へ その3(08/11続き)

まだ12時半、ということで竜飛岬へ。
海辺のウネウネとうねる漁師町を行く。
津軽線の終点、三厩駅を過ぎる。まだ集落は続く。
この辺りに住む人たちはどうやって生活しているのか。
バスはあるのか。車だけなのか。
中学生が黙々と自転車を漕いでいる。


もはや漁業で潤うということはなく、家は古く小さい。
漁師小屋も木造の掘立小屋で傾いて今にも壊れそうなのをそのままにしている。
窓ガラスの割れた母屋同様打ち捨てられたところも多かった。
背後に切り立った崖。崖崩れしないようにしっかりと固められていた。
それが幾何学模様を描くのがシュールな不思議な風景となる。
最果ての地、生活が楽なわけはなく。
食堂も民宿も看板は掲げられているが、客が居るようには見えない。


義経が馬に乗ってこの石を蹴って海に飛び込んで北海道に渡った
という伝説の残る義経石とその背後の義経寺を過ぎる。
岩をくりぬいて掘ったトンネルが多くなる。
風力発電の風車が見えてきて竜飛岬に到着する。
とにかく風が強い。台風並み。


分かれ道をまずは上っていく。展望台の方へ。
13時を過ぎて昼を食べようということになる。
ホテルはなんだか高い割に対したことなさそうだし、
向かいの食堂はアオサの入ったラーメンしかなくて年老いた母の口に合いそうもなく。
しかしこの岬には津軽海峡冬景色が流れる石碑があって、
その背後には階段国道の339号線。
このふたつを見たら竜飛に来たことになるかな。


少し引き返して道の駅の食堂で海鮮丼。
青函トンネルの記念館を兼ねていて、
リフトで工事用のトンネルまで下っていくことができる。
学生時代に映画を撮っていた時に友人に
車を出してもらって下りたことがあったことを思い出す。
紫色の可憐な花が道端に咲いている。
母はこの花が見たかったのだという。
昔はなかった。青函トンネルの工事で来た人が植えたのが広がったのだとか。


食べ終えて岬を下りて竜飛港を歩いてみる。
小さな釣り船がいくつも港につながれている。
魚を荷揚げする倉庫が閑散としている。
大きなイカ釣り船が一艘だけ泊まっていた。
イカを引き寄せる巨大なガラスのランプが渡した梁から連なっていた。


帰りは海沿いに袰月・平舘を通っていくことにする。
今別まで来て走っていた時にこじんまりとした民宿兼カフェが目に留まって、一休みする。
「風の丘」という。こぎれいな建物。庭にはベンチ。津軽海峡を一望に見渡せる。
入ってコーヒーを飲む。気さくな年配の店主は以前大川平の小学校の先生だったという。
昨年10月にオープンしたばかりだという店内は東京のカフェのようで、
青森の片田舎とは思えなかった。
ここに泊まって何もせず海を眺めていたい。
聞いたら朝食のみで一泊5,400円だと。安い。
母はこの辺り子どもの頃よく来たことがあって、
海岸で錦石という波に磨かれたきれいな石を拾ったものだという。
それが様々なオブジェとして飾られていた。


カフェを出て近くの海岸へ。石を拾う。
釣り人たちが車から下りてきた。
妻が「何が釣れるんですか?」と聞くと「釣ってみないとわからない」と。
彼らもここは初めてだったのだろう。


袰月、平舘と漁港の町を行く。松前街道。雨がポツポツと降り始める。
平舘の町は黒に赤に黄色にカラフルな浮きが家々の前方に積み上げられていた。
シュールな町並み。この風景、知られているだろうか?


平舘の灯台蟹田灯台、観覧山の海水浴場を過ぎて朝通ったバイパスへ。
油川に着く頃には雨雲が切れて急に晴れる。
ラジオで聞いていた甲子園は熊本の秀岳館横浜高校に勝ち、
智辯和歌山が沖縄の興南に勝った。


家に着いて一休み。
18時を過ぎて外で食べようということになる。
本町のホテルへ。
母を下してロビーで待ってもらって、アスパムの近くにレンタカーを返しに行く。
ガソリンを満タンにするつもりが、
近くのガソリンスタンドは電気が付いていて事務所に明かりがついて
従業員たちがテレビを見ていたのに、車が入ってきても出てこない。
妻が事務所に近づくと両手でバッテンを。
なんだかな。営業してないなら事務所を閉じて帰ればいいのに。


ホテルの和食の店で母が食べたかったというすき焼きを。
イカのゴロの刺身も食べた。
帰りは近場だけどタクシーで。
運転手さんに聞くとこの近くの橋本小学校は今、
生徒が減って複数の学年が一緒に授業していると。
しかし佐々木市長が廃校にしようとすると反対にあって今も存続しているのだという。


着替えてシャワーを浴びる。
山の日ということで BS の百名山スペシャルを見た。
工藤友貴と湊かなえ南アルプスを、湘南乃風の若旦那が山形の霊山を、
瀬戸カトリーヌ親子が尾瀬の山を登った。
その後岩合さんの世界猫歩き。ルーマニア
午前0時前に寝た。