長野県中野市へ

月曜休んでの4連休も今日で終わり。
妻が行ってみたいということで、車に乗って
長野県中野市にある作詞家・国文学者、高野辰之の記念館へ。
僕は知らなかったけど、「故郷」「朧月夜」「もみじ」「春がきた」「春の小川」といった唱歌
彼の書いたものであるという。
 
9時。練馬ICから関越自動車道に乗って飛ばしていく。
高坂サービスエリアで一休みして、朝食を買う。妻はおにぎり。
フードコートの一角でご当地コロッケを6種類売っていたので
小川町カレーコロッケと東松山味噌コロッケを買ってみる。
車に戻って食べる。温かくてどちらもおいしい。他にも里芋のコロッケがあったかな。
ちなみにここにはみたらし団子を挟んだコッペパンも売っていた。
 
上信越自動車道に入って、富岡、下仁田、軽井沢、佐久、小諸と過ぎていく。
地名はよく聞くが妻も僕もこの辺りを旅するのは初めて。
軽井沢に近づいた辺りだろうか、紅葉した山が迫ってくる。
朝のうちはパラパラ雨が降っていたのが、すっかり晴れて赤に黄色に燃えるような。
4km のトンネルも何本も通り抜けて、
あるトンネルを抜けると快晴、次のトンネルを抜けると曇り、その次を抜けるとまた快晴。
山の天気は目まぐるしく変わっていく。
 
この日は自衛隊のトラックを行きと帰りで何度も見かけた。
行きはトラックだけではなく台車をつないで何かを引っ張っているのが多かった。
途中、千曲川さかきのパーキングエリアで休憩。
名前にある通り千曲川のほとり。セブンイレブンがあるだけの小さなパーキングエリア。
高台から盆地になった小さな町並みを見下ろした。
あちこちに城跡があった。
車に乗ってさらに進んでいく。
長野は広い。かなり北まで来た頃だろうか、向こうに雪山が見えた。
日本アルプスだろうか。
 
12時。休憩2回で片道3時間。
豊田飯山ICで下りて、記念館はすぐだった。
静かで何もない田舎だった。のんびりとした時間が流れている。
庭に高野辰之の像が立っていて、ボタンを押すとその経歴を解説する音声が高らかに流れた。
中に入る。アルコール消毒と検温。
「故郷」のメロディーがどこからかかすかに聞こえてくる。
最初の部屋で高野辰之の生涯と故郷との関りについてのビデオを見せてもらう。
東京帝国大学で博士号を取得、
それぞれ全3巻の『日本歌謡史』『日本演劇史』『江戸文学史』といった著作がある。
日本地図には手掛けた全国の校歌がマッピングされていた。青森だと弘前実業など。
満州樺太の学校の校歌も。
そして「かもとりごんべえ」といった童話も書いていたんですね。
館内にはこの村の写真家が写した大正、昭和初期の家族や生活の風景が。
そちらも興味深かった。
皆かしこまって、いぶかしそうな表情で写真に収まっている。
 
その近くに高野辰之の生家があった。
戦前からあるのか、大きな立派な家。
今も家族の方たちが住んでいるようだった。
この長野県中野市には作曲家、中山晋平の故郷でもありやはり記念館があるとのこと。
 
近くに道の駅があるというので寄ってみた。
野菜の直売所でキャベツやモロッコインゲン、ラフランスを買う。
「ぼたんこしょう」というピーマンのような野菜が袋詰めされて売られていた。
これってなんだろうと話していたら居合わせた地元の方が
種の周りが辛いのでそのまま種を取らずに醤油で煮て冷まして、次の日食べるといいという。
それはおいしそうと一袋買ってみた。
外の総菜屋でもネギ入りの出汁巻き卵、鶏皮の唐揚、ザーサイを買う。
 
13時半。本当は温泉に寄りたいと準備をしてきていくつか調べてきたが、
帰り混むかもしれない、
4連休最終日ということで軽井沢からの車が多いかもしれないと
早目に帰途に就くことにした。
入り口前のガソリンスタンドで補充していく。
ここまで運んでくるのが大変なのか
都内の家の近くだとレギュラー122円だったのがここだと144円。高い。
 
上信越自動車道に乗って最初のパーキングエリアである小布施で昼を食べた。
妻はキノコの入った鶏南蛮蕎麦、に和栗ソフト。小布施は栗で有名だからと。
僕はお薦めとなっていた、信州福味鶏を使用した親子丼とわさびコロッケ。
蕎麦も親子丼も出汁が甘すぎず辛すぎず絶妙だった。
 
夕暮れの日差しを浴びて燃え盛る紅葉の中、
またいくつものトンネルをくぐり抜けて帰る。
軽井沢付近は問題なかったが、嵐山から高坂の間で渋滞。
その間にすっかり日が暮れて暗くなった。
新座料金所を出て練馬ICの出口を出るまでも全然進まない。
ようやく家の近くまで戻ってきたのが18時。これでも早い方か。
高速で大量の虫がぶつかってきたので洗車して帰った。
 
風呂を沸かして入って、出汁巻き卵など食べながら缶ビール。
人生初長野。長野は広い。広すぎた。
松本や上田の方も回るなら3日は必要だな、と話す。