うまい、ということ

昨日今日と妻が在宅勤務で、夜は19時と早めに食べた。
18時半前からご飯を炊いて味噌汁とサラダを作り、
昨日は鯖を焼いて今日は納豆のためのネギを刻んだ。
19時から『日本縦断 こころ旅』の「とうちゃこ」版を見ながら食べる。
先週に引き続き今週は福島県を自転車で走っていた。
昨日は喜多方、今日は三春。
 
この番組は火野正平さんの人柄の魅力というところが大きいのだが、
ある日気付いた。
昼間自転車を漕いでいるので朝版かとうちゃこ版か
どちらかで昼を食べている場面が出てくる。
店に入って、あるいは弁当を広げて。
そんなとき正平さんは必ず、「うまい」と言う。
言わされている感じはなく、楽しげに笑顔で言っている。
ああ、これなんだなあと思う。
冗談交じりに口の悪い場面はたびたび出てくるけど、ご飯を悪く言うことはない。
 
もっと言うと、今この目の前に出されたご飯がおいしい、ということしか言わない。
今まで食べた冷やし中華の中で一番だ、とか、
どこそこで食べたカレーライスよりもうまい、ということは絶対言わない。
比較しない。
もちろんそれはあれこれ差しさわりがあるからという番組的配慮があるんだろうけど、
正平さん自身の判断によるところもあると思う。
 
本質的に、比較するというのは失礼なことだ。
例えそれが目の前のものの方がおいしいとかよくできてるとかいうことであっても。
比較しないとその良さがわからないのか、という。
 
それに常日頃から「これは今年一番だ」とか「自分史上五本の指に入る」とか言ってたら
どんどんそのありがたみがなくなっていく。
僕なんてしょっちゅう言っている。何を食べても、これは今年一番うまい○○だと。
思うのはいいことだけど、なるべく言わないようにして別の表現でそのうまさを伝えたほうがいい。
その努力を伝えたほうがいい。
あるいは一言「うまい」「おいしい」とだけ言って、その深みを増していくか。
心の底から言えるようにならないといけない。
 
それにしても『こころ旅』に出てくるご飯、
オムライスだろうとハンバーグだろうとどれもうまそうなんだよなあ。
あの昼飯のために番組のスタッフになって自転車を漕ぎたいといつも思う。